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乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方Vol.31 履き違えたグラフィック 前編

最近のスポーツゲームで気になることがあるんです。

野球ゲームやプロレスゲーム系に多いのですが、
選手の顔を実写取りこみとか、CGで精密に書き起
したりしてるじゃないですか・・・。

あれ、すんごくマヌケに見えません?

だってさ。無表情じゃん(笑)

下手に本人激似のフェイスグラフィックにしてる
から、余計に無表情が目立つのよね。

野球ゲームとかだと、バッターボックスに入って
る時も、走塁してる時も、全部同じ表情。

プロレスゲームだと、大技出しても、受けても、
まったくの無表情。

あれ、リアルに見せ様としてるんだろうけど、
まったくの逆効果だと思いません?

なんかね、興醒めするんだよね。

野球だったら、打つときとか、投げる時の
身体のモーションをリアルに再現してて。

プロレスだったら、技のモーションをリアルに
再現してます。

それは良いのだけど、顔だけ取ってつけたのが、
明らかにモロバレで、気持ち悪いのよ。

折角、再現した美麗なモーションも、
無表情な顔のお陰で、一気に醒めちゃてるから、
代無し。

つまり、リアルの観点を間違ってるってこと。

2D主流の頃のプロレスゲームなら、顔の表情は
殆ど見えないから、逆に技の痛さがリアルに伝わ
っていたのよ。

でも、今の3Dレタリングのプロレスゲームは、
無表情な顔が技の痛さを感じさせない。

全てが薄っぺらく見えちゃうのよね。

結局グラフィックだけに頼った「リアル」なんて
所詮、陳腐なものなんだよね。

リアルって、CGで作れるものじゃないと思う。

だって、ゲームは人がプレイしてるわけで、
それは、感覚の世界なわけ。

その感覚の世界で、視覚ばっかり偏ったリアルを
表現しようとしても、どんどん滑稽に見えてくる

ゲーム機のグラフィックエンジンのスペックが、
上がれば上がるほど、細部まで美麗に書けるけど
なんでも書けばいいのかって言えば「否」でしょ

2Dが主流だった頃の「リアル」なゲームって、
今から見れば「リアル」じゃないの?

これも「否」

充分、いや、作品によっては現行のハイスペック
マシンで動くハイクオリティグラフィックの作品
よりもリアルなものはあります。

たとえば・・・

2Dマシンとしての名機、メガドライブだと
「マイケルジャクソンムーンウォーカー」なんて
まさに「リアル」でした。

雰囲気をきちっと表現しきったアニメパターンは
今の時代に見ても、おもわず笑っちゃう程リアル

つまり、グラフィックというものは元々無機質な
もので、その無機質なものを細部に拘って書き込
んでも、それは、無機質さを際立たせるだけ。

肝心なのは、生物をグラフィック化する場合、
心を注入できるかで、リアルに感じられるか、
感じられないかが決まると思います。

心を注入する。
それは、雰囲気を作り上げる。

雰囲気とは、それそのものが目に見えるものでは
なく(視覚で感じる感覚ではない)複数の感覚組
織が多様な組み合わせで感じ合ってこそ感じるも
のでしょう。

ですから、生物をリアルに見せるには、アバウト
に書き上げることが大切なんです。

もし、その生物が実在する固有のものなら、
その固有の存在の雰囲気がどこから感じられるか
を的確に抽出して書き上げていく。

存在しない架空の生物なら、その生物のコンセプ
トの中にあるアピールポイントを際立たせる為の
アバウトな表現。

この2つが大前提だと思うのです。

似顔絵を書くのとおなじですね。

一方は鉛筆を使って、本人の特徴を捉えつつ、
強調して書き上げた場合。

もう一方は最新のグラフィック技術を使い、本人
の皮膚組織のミクロン単位までの起伏から再現し
て作り上げたCG。

どっちが、見る者のに「リアル」を感じさせるか?

無論、前者でしょ。

で、昨今のゲーム機の性能が
「オーバースペック」だと言われ始めてから久し
いですが、その「オーバスッペク」はこういう、
グラフィック関連で顕著に現れてますね。

所詮、性能の良くなったグラフィックエンジンの
処理能力の上もなぞってるだけのグラフィックが
大半を占めてます。

その証拠に発想がチープでしょ。

だって、スポーツ選手のモーションをキャプチャ
ーして、動きを再現出来るから、フェイスパーツ
にモデルの顔をそのまま取り込んでで貼りつけち
ゃえって・・・

チープ過ぎ。

そんなのクリエイトじゃない。

やってることは、プレゼンテーションで使う、
プロンプタと同じ。

出来て当然のことなんだよね。

そして、CGで沢山のモーションパターンを用意し
ても、精密にすればするほどに、そこに無機質な
違和感が生じてくるし、狩りに実写の域まで到達
したとしても、それじゃ、実写そのもを使えばい
いわけで・・・。

これは、FFの映画がコケたことで、一般大衆にも
感覚的に悟られたてしまってるんですよね。

無論、グラフィックテクノロジーの進化は、歓迎
すべき存在で、今後もどんどん進化していくでしょう。

問題は、その進化したテクノロジーをどう使うか
が問題なのです。

実写に近い描画が可能になったからといって、
全編を等身描写で映画を作ろうなんて・・・
安易すぎるんです。

CGは現実を描写するのに使う必要はありません。
CGは、夢を描写することにその意義があると、
あたしは思っています。

CGは、現実と夢を融合させる為に使われ、
見たものに、その現実と夢が混在した世界を
仮想空間という新しい現実空間として見せてこそ
CGの描画能力は大きな意味があると思います。

時にゲームは映画を強く意識した形で制作される
作品もありますが・・・。

こういうCGの概念に限っては、圧倒的に映画のメ
ディアの方が、理解度、活用度ともに上ですね。

CGを全面に押し出していく作品が大作と呼ばれる
この環境では、所詮、映画を越えるものは生まれ
ないでしょう。

結局、後追いにしかなってないから。

映画で感じる感覚と同じ物をゲームに仕込もうと
してる時点で、ゲーム業界独自に培ってきた財産
を破棄してるのと同じですからね。

映画は夢を披露して、見て感じてもらうもの。

ゲームは夢を疑似体験させ、その体験を通して、
現実感と仮想の狭間でトリップしてもらうもの。

似て非なるものです。

っと、まだ続くのですが、今日は一旦ここで終了
この続きは明日に掲載します。
(急遽、ネタが出現したら差し返る可能性有り)

ということで、明日の「後編」に続きます。

では、また明日お会い致しましょう。

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