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乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方Vol.31 履き違えたグラフィック 後編

さて、お約束どおり、今日は昨日の続きとなる、
「後編」をUPします。

昨日の分を読んでない方は、必ず「前編」から
読んで下さいね(^^;

では、数行だけさかのぼってはじめます。






問題は、その進化したテクノロジーをどう使うか
が問題なのです。

実写に近い描画が可能になったからといって、
全編を等身描写で映画を作ろうなんて・・・
安易すぎるんです。

CGは現実を描写するのに使う必要はありません。
CGは、夢を描写することにその意義があると、
あたしは思っています。

CGは、現実と夢を融合させる為に使われ、
見たものに、その現実と夢が混在した世界を
仮想空間という新しい現実空間として見せてこそ
CGの描画能力は大きな意味があると思います。

時にゲームは映画を強く意識した形で制作される
作品もありますが・・・。

こういうCGの概念に限っては、圧倒的に映画のメ
ディアの方が、理解度、活用度ともに上ですね。

CGを全面に押し出していく作品が大作と呼ばれる
この環境では、所詮、映画を越えるものは生まれ
ないでしょう。

結局、後追いにしかなってないから。

映画で感じる感覚と同じ物をゲームに仕込もうと
してる時点で、ゲーム業界独自に培ってきた財産
を破棄してるのと同じですからね。

映画は夢を披露して、見て感じてもらうもの。

ゲームは夢を疑似体験させ、その体験を通して、
現実感と仮想の狭間でトリップしてもらうもの。

似て非なるものです。



そして、ゲームに映画感を求めてるお客さんには
お引取り願えば良いのです。

誤解が生まれやすい表現ですけど・・・ね。

つまり、そういうお客さんに向けてゲームを作れ
ば、その時は、そこそこの利益は上がるでしょう

ですが・・・
それは、自らの首を絞めてる事になります。

映画的なゲームは所詮「映画的」にしか過ぎず、
「映画」にはなれないのですから・・・

「映画的」な作品が売れたからといって、
次も映画的な作品を作って、また作る・・・

それを繰り返していけば(既にその最中ですが)
ゲーム業界が30年に渡って培ってきた
「ゲーム」という財産を捨て去ることになり。

どんどん「ゲーム性」が薄い作品で埋もれてしま
うでしょう。

すると、ゲームユーザーは、自ずと離れていき、
「映画的」な作品を買ってた人も、すぐに「的」
に飽きて「映画」そのものに戻っていくでしょう

すると、この業界に残るのは、コアゲーマーしか
残ってないってな状態になる可能性は高いです。
(現に、今、そういう傾向が出てきてます)

今、ゲーム業界が忘れてる事の一番は
「ユーザーを成長させ牽引する」という事です。

いつからか、この業界は「ユーザーを育てる」
事をしなくなりました。

甘えか。驕りなのでしょうか・・・・

ゲームというメディアはインタラクティブ性に富
んだメディアです。

映画のように、監督が描きたい世界を強引に作り
あげて、公開する手法とは違うアプローチを取っ
て行かなければならない世界です。

新しいゲームを出すのであれば、プレイヤーに
そのゲームを求める気落ちを起させる準備が不可
欠だと思うのです。

新しい発想が生まれて、それを完成させたとして
も、ユーザーに「どういうゲームかわからない」
と言われては、売れるものも売れないし、その作
品が秘めてる可能性と、その可能性がゲーム業界
に与える影響も水の泡になってしまう。

それは、広報以前の問題で、ユーザーが容易に、
その新しいゲームを理解できる下準備を別の作品
で盛り込んで、ステップアップロードを作ってい
く必要性があると思うのです。

なにも、大手ソフトメーカーはマシンスペックに
頼りっきりで、闇雲に制作費をかけたソフトを出
す為だけに有る訳じゃないでしょう。

自らが、今後もビジネスをする市場を自ら成熟さ
せる為の投資を行なえるだけの体力はあるんですから。

お金は使えば、その使った分を軸にしか
儲からないけど、撒けば芽も出るし、芽が出れば
枝も生えて、木の葉も風に揺られてあちこちに、
舞い踊っていくもんですしね。

ゲームに3D表現の自由度が上がり、バイオハザー
ドのような、旧ハードでは実現できなかった、新
しい世界が突発的に生まれ、新しいジャンルにま
で成長したこともありますが、そういうテクノロ
ジーに頼った、エポックメイキングばかりに比重
を置くのは危険過ぎるのです

肝心なのは、そういう突発的な変化が起きた時に
この業界に目を向けてもらえる下地をメーカーが
やっていかなければならないと思います。

それが、「ユーザーを育て、牽引する」作品作り
なのです。

現状の、消費されていくだけの、見た目の派手さ
だけに終始した作品は、ハッキリ言って迷惑この
うえないと感じます。

美麗なグラフィック多いに結構。
人目を引きつけるCGも多いに結構。

ただし、そこにゲームクリエイターのクリエイト
した成果が込められてるならば・・・です。

クリエイトしたゲームと、そのゲームに使われた
CGが無ければ、そのクリイエトは完成形を成さな
いという使い方なら意義はあるでしょう。

しかし、残念ながらそういうのは少ないですね。

作り手側に本質を練りこむ気がないから、
ユーザーも本質も見極められないままなのです。

そして、そういう無様な作品に対して警鐘を鳴らす、媒体が無いのが一番の問題でしょう。

ゲーム雑誌は、どこも横並びで、独自色は皆無。
レビュー記事も、結局はおべんちゃら。

ゲーム雑誌は、ゲームメーカーの外部広報という
創世記のスタイルのままでいいのでしょうか?

ここまで、インターネットが普及した時代に、
飼われてる犬のように、尻尾を振っていても
そこに真実味など感じられません。

インターネットに上がれば、生の声がどんどんと
至るところから発信されてる時代です。

メディアを扱う雑誌なら、メディアに警鐘を鳴ら
す義務ってあるとおもうんですけどね・・・。

無論、雑誌で吊るし上げろとは言いませんが・・
ライターは沢山居るでしょう。

沢山居るなら、ライター毎にゲームを見る観点が
違うのは当然で、それらの意見を否定、肯定を
分け隔てなく掲載してこそ、このメディアのユー
ザーも、メーカーも成長していくと思うんですけどね。

無論、雑誌発行のスポンサーとしてゲームメーカ
ーが存在してるのは当然で、その結果、飼われた
犬になっている仕組みは周知ですが・・・。

だからって、右も左も談合って・・・
なんか、違うでしょって感じです。

確かに、ゲーム雑誌創世記の頃は「ゲーム雑誌」
というメディアは明らかな「2次産業」でした。

だから、「飼われる」必要性もありましたが・・

もうそろそろ、自立しても良いと思うんです。

良いゲームを作れば、雑誌メディアで取り上げて
貰えるっていう、ごく自然な形をそろそろ作って
みても良い頃だと思うんですけどね・・・。

ま、ゲームしかり、ゲーム雑誌しかり・・・
過渡期なんでしょうね・・・。

ゲームが好きだからこそ、
そして、混迷してるのを危惧すればこそ・・・
古い体質にしがみつくので無く、変わる事を強く
望むのです。


:後記

さて、急遽2回に分けて掲載することなった
「乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方Vol.31 履き違えたグラフィック」

長々とお付き合い頂いて有難う御座いました。

最近、この手のコラムが少なくなっていたので、
ちょっと力んで書いてみたら、長くなってしまい
2回に分けることになってしまいました(笑)

このテキストをタイプしてる時に、
同居人のKANAから突っ込まれました・・・

「ね、cちゃんって、喋る時はトロ臭いのに、文
字にしてる時って、休む間なしにカチャカチャ打
ってるけど、その早さを喋る時にだせない?」

・・・・・やかましい!(笑)

テキスト打つのは、相手が目の前に居ないから、
自分の頭の中で展開してる事をそのまま一方的に
書くから、早いの。

普段も、同じ早さで考えて、頭の中で浮かんでる
けど、それを話す前に相手が違う展開をしちゃう
と、一旦白紙になるから、また考えないといけな
いから遅いの!(←自覚してるしw)

って言い返したら・・・

「でも、キーボードで打つよりも、遅いテンポの
話し方って変だよ」

って・・・バッサリと切られました。

・・・・うるさいやい!

良いのさ。遅くても。
話してる時、あんまり気づいてないから(笑)

あと、本人が自覚してなかった事を私的され・・
焦りました・・・。

「遅いのは良いとして、一人で輪唱するの止めた
ほうが良いよ。なんか、頭弱い子みたいだし」

って・・・言われました・・・。

言われて初めて気づいたんですけど・・・
輪唱・・・してます(^^;

たとえば・・・
「あ、そこのペン取って」って言われたら
「ペン・・・。ペン。はい。」って言ってます。
(-_-;)

なんでも、そう言う風に一人で輪唱してる・・・
「電池・・・.電池。」とか・・・
「ブラシ・・・。ブラシ」とか・・・

なんか、かなりバカ臭い(笑)

気を付けねば(^^;

っと、後書きが長くなってしまったね(^^;

もう、これ以上長くするのもなんなんで、
終わりにします。

では、また明日お会い致しましょう。

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