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乙女日記 Vol.233 ペットね~……。感化されたと言うべきか(^^;

少し前に同居人のKANAを実家に連れて行った
のですが、その日からKANAがペットを飼いた
いと言い出してて・・・結構困ってます。

なんで、実家に連れて行った後から、そういう風
に言い出したかと言いますと、あたしの実家って
ちょっとしたプチムツゴロウ王国気味なんですよ
(笑)

父が、ペットオタクでして(^^;

あたしが子供の時から、家には結構な数のペット
が家を徘徊しておりました。

詳細な種類を書いていくとキリが無いので、大雑
把に言うと、犬、猫、ウサギ、イタチ系、猿、鳥
、亀、トカゲ系、ヘビ、魚系、といった面子です
(笑)

父曰く「俺は、いつか馬を買う」という事だそう
で・・・(笑)

ま、勝手にしてくださいって感じ(笑)

で、そんな我が家に足を踏み入れてから、KAN
Aがペットを飼いたいと言い出してるわけです。

しかし、あたしは、それに反対してます・・・

いやね、今住んでる所は、ペットを飼っても良い
のですけど、KANAはペットを飼った経験が無
いのが一番のネックなんです。

ペットってね、特に、水槽とか、ゲージの中で飼
育しない動物って、ほんと世話が大変なんですよ
ね・・・。

最近では、ペットフードの栄養価も優秀で、更に
屋内飼育だと、恵まれた環境下に成り過ぎるし、
更に、獣医学も身近な存在になっていますか、総
じて、長生きするんですよ。

この『長生き』が運んでくる諸問題をペット飼育
未経験の人は、事前に理解して無いから危ういの
です。

例えば、犬。あたしの実家で買っていた犬の中で
一番長生きしたのは、17年生きました。

この17年生きた犬っていうのは、それだけを取
って語れば「長生きだね~」で済んじゃうけど、
実際は本当に大変なのです。

以下に記述する文章は、私的な推察なので確証は
ないですけど、まあ、そんなに的を外して無いと
思います。

犬・猫の寿命って、最近になって、急激に伸びて
いるんですよ。

でも、それは、犬・猫の生きる力が伸びているの
でなく、死なない環境を飼育する側が提供できる
実数が各段に延びただけって感じがするんです。

人間と違って、動物の寿命って、その動物が動物
としての能力を維持できる限界点で閉じるべき命
のメカニズムだと思うのです。

つまり、犬なら、犬として生きれる内に召されて
一生をまっとうするのが一番素敵なことだと思う
ってことです。

その17年生きた犬は、15年までは、辛うじて
『犬』としての命を燃やして生きていましたが、
そこから、2年は『犬』では有りませんでした。

歩くことも間々ならず、自分で用を足すことも出
来なくなり、食事を介助無しでは満足に食べれな
いのです。

それは、彼が『犬』として生きれなくなっていた
ってことなのです。

そんな彼は、介助を受けて食事をしたり、立ち上
がるも、ふらついて横転したりする度にとても哀
しげな空気を漂わせていました。

それは、転んだ事で「痛い」とかでなくて、彼に
は、彼なりに『犬』としてのプライドが有るので
す。

動物を飼育され、生活を共にしたことが無い方に
は、『犬にプライド?」って思われるでしょう。

しかし、飼育された経験の有る方なら、容易に伝
わると思います。

犬や猫は、確かに自分が犬や猫で有るというプラ
イドが有るのです。

人間の子供でも、誉めて育てると良いと良く言い
ますよね。

動物もそうなんです。誉めて育ててあげることに
よって、彼らは自分自信に自信を持ちますし、そ
の自信から、自分の役目や決して譲れない自己領
域というものを持つようになります。

言葉という逃げ道がない動物の方が、そういった
自己形成の推移はハッキリと見えるのです。

臆病な犬とかって居ますよね。

その臆病な犬が、過去に飼い主に虐待を受けたり
してはいないのに、なぜかいつもビクビクしてい
る犬っていうのが居ます。

これは、その犬が幼年期の時に、可愛がるだけと
か、コチラが、じゃれて遊んであげてると思って
いた、悪戯めいた行為とかが大抵原因です。

犬や猫は幼年期の時、非常に愛くるしく行動も無
垢です。

そんあ無垢な彼らの無垢さを見たいが為に、彼ら
の好奇心を利用し、悪戯をしがちです。

例えば、指をピクピク動かしてるだけで、幼年期
の犬、猫は興味を示し近づいてきます。

で、指に鼻先を近づけたときに、軽く指を弾いて
ハナにショックを与えたとします。

すると、驚いた様子を見せて、それがまた、愛く
るしく写ります。

そこで、笑いながら、ひっかかった~っとこちら
も遊びの一環として行なっている行為が、彼らに
は、プライドを傷付けることになっているのです

すの後、それに似たような行為を繰り返してして
ると、好奇心で興味を持ったものに対して、純粋
に興味を抱く前に、警戒をともなった萎縮行動を
取るようになります。

更には、おやつを与える時に、その餌を見せてお
いて、どこかに隠して探させるという事を良くや
る方がいます。

薬物探知犬などを思い浮かべての遊びの一環のつ
もりなんでしょう。

しかし、この行為も、間違った対応をしてると、
動物のプライドを著しく傷付け、自身に自身をも
てなくなる動物を作り上げてしまいます。

最初に、おやつを隠して、それを見つけた時に、
きちんと、誉めて上げることと、更に見つけたお
やつ以外に、もう1個、見つけた御褒美としてお
やつを追加で上げなくてはなりません。

そうすることによって、『見つけた』という役目
を自分が達成したと実感させることが出来るので
す。

逆に、一番駄目なケースは、おやつを見つけたの
に、誉めずに、御褒美も上げずに、更におやつを
隠して捜させるといったのが最悪です。

しかも、飼い主は「見つけた」動物の方をほった
らかしにして、「見付かってしまった」という、
飼い主側の感覚で次の行動に出てしまう場合があ
ります。

そうなると、大抵は最初におやつを隠した方法の
応用系で、新たにおやつを隠すことが多いです。

そう、例えば、座布団の下に隠した次に座布団を
もう一枚持ってきて、間に挟むとかです。

こういったことを、繰り返してると、動物は飼い
主は自分が「見つけた」行為にNGを出してるの
だと解釈してしまうのです。

で、また見つける、だけど、飼い主は誉めたり、
御褒美を上げたりして「君は役目を達成したんだ
よ」という肝心なことを気付かせてあげないまま
更に、新しい隠し場所におやつを隠します。

すると、どんどん、動物は自信を喪失していきま
す。

そして、自信を失った動物は大抵ワガママに育ち
ます。

『自分』という確固たるポジションを見失ってい
ますから、律して生きることを学べないで成長し
しまうからです。

自分の『役目』を意識し、それを『自分』の存在
意義と感じてる動物は、その『役目』を行なって
るとき、とても輝いています。

例えば、盲導犬。

彼らが、視覚障害者の方を先導してる時の姿を、
近くで見る機会があれば見て下さい。

身体中に緊張を身にまとい、周囲の変化を意識し
つつ、決してその周囲の雑音に気を取られないで
自らの役目を遂行してる時の彼らは、とても凛々
しく、『犬』としてプライドに満ち溢れてます。

こういったように、犬にもプライドというものが
存在するのです。

さて、少々、長引きましたが、話を戻しましょう

17年生きた彼は、15年までは、犬として生き
ていました。

ですが、残りの2年は、犬ではなく、ただ介助さ
れるだけという立場になっていました。

介助されてるときの彼は、とても哀しい空気を出
し、それは、介助するこちらが辛く感じるほど、
切ないものでした。

彼は、犬として生きれなくなっても、命は続いて
る。果たしてこれは「犬」として幸せなのだろう
か・・・。

彼の介助をしている時、あたしはいつもそう感じ
ていました。

吠える事もめったに無く、駆けることも出来ない
、身体を支えて貰わないと、食事も出来ない。
トイレも、支えて貰わないと、ヒックリ返ってし
まう。

こういう状態で生き長らえるのが「犬」である
彼にとっては、苦痛以外なにものでもないのでは
ないだろうか?

っと・・・良く考えました。

これが、人間だと、また話しは違ってきますけど
ね。

この場合は『犬』で有る彼のケースでの話です。

ただ『犬』であっても、彼程の状態になると、
人間の介護と殆ど同じ状態になります。

一日、24時間、常時誰かが目を配ってないと、
いつ、いかなるときに、彼が介助を必要とする
状況になるかわかりません。

それは、とても大変なことです。

目も殆ど見えなくなって、耳もかなり遠くなり、
辛うじて機能してる嗅覚を頼りに世界を感知して
る彼を世話するのは、とても大変でした。

なるべく、彼のプライドを傷付けず介護するとい
うのは、思うよりも大変で、神経をかなり使いま
した。

目と耳が使い物にならないので、たまに自発歩行
をしだす時には、彼の身体に触れずに、いつでも
彼が横転しそうになっても介助できるように、そ
っと後からついていかなければなりませんし。

なにかの障害物にぶつかりそうになっても、彼の
身体毎、こちらが手を添えるのでなく、ぶつかり
そうなときに、そのぶつかる対象と彼の間に手を
挟みこませ、次に彼の鼻先に手をかざして、臭い
で、今、あたしが側に居て、こちらに移動しなさ
いという信号を掌の臭いで先導してあげたり。

あれこれと、それはそれは細々と大変なのです。

そういった、老いた時の世話というのを念頭にお
いて、ペットを飼育するのなら良いのですが……

どうしても、目先の愛くるしい姿に惹かれてしま
い、安易にペットを飼育し始めがちなんですよね

・・・無論、飼育しながら、そういった老いへの
準備と心構えを飼う側が学んでいけば問題ないの
ですけどね。

ただ、今のKANAは明らかに、あたしの実家の
状況に感化されているだけった感じを受けますか
ら、反対してるのです。

で、今日も「ペット~~」っと言い出したので、
本気で飼育する気があるのかを確認する為に「犬
や猫なら、これから15年先の未来を想像出来て
て、しかも、その想像を想定して、キチンと最後
まで看取って上げれると核心出来るのなら、飼っ
ても良いよ」っと言ったんです。

すると、さすがに、黙っちゃった(笑)

まあ、ちょっとオーバーな言い方だったけど、K
ANAの場合、過去にペット飼育の経験も無いし
祖父や祖母の介護経験も無いので、やっぱり先に
必ずやってくる苦労を実感してもらってからじゃ
ないと、安易にOK出せないのよね(^^;

KANAには、命を装飾品扱いするような、下劣
な人には成って欲しく無いしね。

ということで、今日はちょっと真面目な話しでし
たね。

それじゃ、真面目ついでに、最後にもひとつ。

17年生きた彼の『犬』として生きれてなかった
2年間を、介護してる時に散々考えさせられまし
たが、彼が息を引き取った時に答えが出ました

彼は「犬」として15年生きて、残りの2年を、
あたしにプレゼントしてくれたんだって思ったの
です。

別に、綺麗に飾るつもりは無いです。

ただ、彼の存在は、当時のあたしにとって大き過
ぎたんですよ。

15年『犬』として生きたのだから、『犬』でい
られる内に召されたほうが、彼にとっては良かっ
たのでは?っと常々思ってました。

しかし、それと同時に、誰よりも居なくなって欲
しくないと思っていたのが、あたしでした。

15年で、彼が居なくなってたら、あたしは物凄
いショックを受けていたでしょう。

彼は、最後の2年を使って、あたしに準備をさせ
てくれました。

物心ついた頃から、彼はあたしの側に居て、彼に
沢山のことを教えてもらいました。

そして、彼は最後にとても大きなものを、あたし
に教えてから、眠りに付きました。

2年という猶予を、彼はあたしにくれて、そのお
陰で、彼が息を引き取った時に、哀しみでなく、
労わる気持ちで満たされたのです。

『犬』としてでなく、彼は『飼い犬』としての
役目を余す所無くまっとうしてくれたのです。

その時に、『飼う』という本当の意味が判ったの
です。

なんか、湿っぽくて、美談ぽくなりましたが、
別段、そういった狙いで書いてはいません。

っていうか、当たり前の事を、ただ、淡々と書い
てるだけです。

人間も、動物も「生きる」事は、惰性でなく
そこに意思と目的と役目が有ってこそ凛々しく
生きて、死んでいけるのだと思うわけです。

さて、KANAが、どういった決断をするかが、
今後の心配ごとでもあります。

飼うってなったら、なったで大変ですよ(^^;

15年、彼女を世話するつもりは無いですし(笑)

取り敢えず、寿命の短い動物で「飼育」を学んで
貰うのが良いかな。

ハム太郎とかね(笑)

ま、そゆことで、今日は終わりです。

また次回の更新でお会いしましょう。

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