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乙女のゲームキューブロード Vol.18 絶賛のようですね

今日の話題はゼルダです!GCです!
あんね、もう凄いね。各方面で絶賛の嵐じゃん!

ゼルダを遊び続けてきたcocには(ムジュラ除く)
各メディアの紹介で入ってくるゲーム情報の切れ
端を繋ぎ併せただけで、タクトがどれほどの完成
度か容易に想像出来るし、その想像を実際にタク
トをプレイしたら容易に超えてくるんだろうなっ
てことも判りきってしまうのです。

恐らく、時のオカリナで受けた衝撃以上か、少な
くても同等の感銘を受けるんでしょうね・・・。

時のオカリナはホント素晴らしい作品だった。
あの作品をプレイしたときに、なんで今までcoc
はゲームで遊び続けてきたのかという素朴な自問
に明快な解答が得られました。

時のオカリナに出会う為w
って言うと、ちょっと綺麗過ぎだけどね。

つまり正確に言うと、子供の頃の自分とゲームの
関わり合いって凄く密接でそこに子供なりの人生
を費やしてるとも言ってしまえるほど夢中になっ
てました。

ここで肝心なのが、なんで夢中になれたか?
それを色んな角度から考察してみるのも良いので
すが答えは呆れるほど簡単で明快です。

それは『面白い』からです。

で、この『面白い』というのが非常に重要で、子
供の時に感じる『面白さ』って、実は凄く大切だ
ったりすると思うんです。

なにせ、純粋ですから。
言い方を変えると貪欲なんですよね。

でも、大人になってしまうと『面白い』の基準と
いうか、感じ方が変わってしまうんですよね。

それを成長と定義することも良いのですが、coc
は、遭えてそれを成長とは思わないんです。

大人って、余分な知識が付いてしまうので、感覚
から受ける刺激に対して不完全なパートを見付け
ると無意識で知識から補填して、自分なりに補完
してしまうでしょ。

ゲームで例えるなら、どこかに不満を感じても、
自分が気に入る要素が過半比率を超えていた場合
は足りない部分、つまり不満に感じる部分を自ら
の知識から理屈を論理的に当て込み、これはこう
いう物だからこそ●●なんだっていうふうに、自
己補完して、そのもの事態を成立させてしまうん
ですよね。

でも、子供の時って、もっと直感的で有りのまま
を受け取り、有りのまま跳ね返すものですから、
『面白さ』の取捨に関しては、大人よりも全然敏
感で正確なんですよ。

思い出してください。子供の時に欲しいソフトの
発売日を指折り数えて待ち焦がれていた日々のウ
キウキ感。

やっと購入し、そのソフトを宝物のように大事に
抱え、家路を急ぐときのソワソワ感。

帰宅し、パッケージを開けて、ソフトを起動させ
ついにプレイを開始した瞬間のワクワク感。

暇さえ有れば、いや無くてもゲーム機の前に噛り
付き、恐ろしいほど没頭していた時のドキドキ感

『面白い』と感じたものには、それこそ夢中にな
ってものです。

しかし、その逆もしかり、少しでも面白くない部
分を見付けてしまったり感じてしまうと途端に熱
が冷め、プイっと別の方に気を向けちゃう。

そういう正直というか、残酷な面も子供は持ち合
わせていて、そういった部分も大人になると消え
てしまいます。

つまり、直情的な行動や考え方に大人は経験から
得た知識で抑制を掛けてしまい、本来素直に行動
しても良い場面ですら、自らを補填してしまうと
いう悪い面があります。

cocもいつからか、子供のときのようにゲームに
心底夢中になることはなくなりました。

欲しいソフトの発売日など数えるどころか、忘れ
てしまうこともしばしば…
しかも、酷い時は発売日が近づくにつれ憂鬱にな
ってしまうことも有ります。
「ああ、もう発売日か、これで時間の配分が更に
難しくなる…」ってな具合にね。

ソフトを購入しにいっても、まったくドキドキし
ないし、パッケージを変えるの急ぐことも無くな
りました。

実際、プレイを開始しても、子供のときのように
それだけに没頭することは無くなり、止め時を常
に意識してプレイしてしまう…

そんな中で、cocは時のオカリナに出会い、その
作品で再び、子供の頃に感じた直情的な世界に没
頭することが出来たのです。

それはまさに衝撃でした。

食事や入浴、仕事と日常生活上不可欠な行動以外
は全て時のオカリナに費やされました。

ホント夢中になりました。
理屈云々でなく、ただただ面白い。
面白いから遊びたい。遊べばもっと面白くなって
きて、だからもっともっと遊びたい。

まるで、小学生の頃に戻ったようでした。

その時に、なんでずっとゲームに拘り、遊び続け
てきたのかの答えが出たんです。

そう、あの子供の頃、一本のソフトに全ての意識
を集中し夢中になった時の感覚を味わいたくて続
けてきたんだってね。

時のオカリナをクリアし、二周目を遊び始めた時
にそれに気付きました。

そうなんだ、こういう純粋に『面白い』とだけ感
じれ、それ以外の事に意識を向けずとも、その作
品自身の力で最後まで夢中にさせてくれるような
ソフトと出会いたくて、今まで続けてきたんだ。

そして、それが時のオカリナだったのです。

故にcocは子供に受けるソフトを軽視したりしま
せん。

子供の敏感で残酷な目に認められたゲームって、
確実に全ての年代に通じる作品なんですよ。

そこが任天堂の強いところでもあるんですよね。

実際、任天堂は子供相手じゃなく、子供の後ろに
控えてる親という大人ユーザーをも当て込んでソ
フト開発してますから、根強いんですよ。

もう、メインハードからその名は消えましたが、
今の時代になっても、任天堂の精神はファミリー
コンピュターの『ファミリー』に集約されている
のです。

だからこそ、深刻な少子化に喘ぐこの国で、PS
2の圧倒的なシェアの中、200万台のハードを
発売から一年で達成出来るのです。

アニメやマンガ、ゲームなどのメディアでは常識
である『子供を舐めて掛かると痛い目に遭う』と
いうのを、任天堂は子供相手だからと的外れな事
を言ってる人に意識して欲しいものです。

見せ掛けだけの大人志向より、純粋に心底面白い
と思える子供にまで敷居を下げた作品の方が遥か
にゲームらしく、面白いという真実に気付いても
らえないだろうかとcocは杞憂してますと書くと
皮肉過ぎるでしょうか?^^;

ま、杞憂は冗談として、そうなってくれるものと
期待は込めてます。

そして、タクトは時のオカリナ以上の出来と各所
で絶賛さてれいます。

それは、cocにとって時のオカリナ以降、ずっと
感じれないままだった、あの面白さの鎖に絡めら
れてしまうという感覚の再来を期待できる作品だ
ということになります。

その期待出来る作品が、今手元に有ります。
しかし、GC本体がありませんw

これは、とても過酷な拷問ですねw

一体、この拷問はいつまで続くのか?
そして、耐え切ることが出来るのか?
非常に興味深いですw

そんなこんなで、タクトで遊べないからせめてテ
キストの内容をゼルダに染めて慰めてみるという
代償行為なコラムでしたw

そいじゃ、今日はこのへんで。
また次回の更新でお会いしましょう。

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