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乙女のらぶらぶサッカー Vol.72 運命の悪戯か!?

既に周知の事ですが、2006ドイツW杯の一次リーグの組み合わせが
決まり、日本はF組みで、ブラジル、クロアチア、オーストラリア
と決勝トーナメント行きの切符を賭けて戦うことになりました。

そして、これも既にマスコミが煽ってますが、この組み合わせとヨ
ヨタカップを目前にした現状からして、サッカーファンなら誰しも
【カズ】を思い描くことでしょう。

サッカーに疎い方に軽くこの状況とカズの歴史を軽く説明しますと
、カズは1982年、15歳で単身ブラジルに渡り、4年のサッカー留学
生時代を経て(下積み)1986年に日本人として初のブラジル クラブ
チームとプロ契約(サントスFC)

その後ブラジルで4年間活躍し、90年に帰国。その年に読売ベルデ
ィと契約、時期を同じくして日本代表に選出される。94年には日本
人で初めてイタリアのクラブチームと契約(ジェノア)セリエAのピ
ッチに立つ。98年にはクロアチアのザグレブへと契約、05年にシド
ニーFCと契約し、6大陸のクラブチームチャンピオンが集い、世界
一のクラブチームを決定する大会へと一新されたトヨタカップにオ
セアニアチャンピオンのシドニーFCの一員として出場。

簡素に書けば、こんな感じで、今回ドイツW杯の組み合わせの妙と
いうか、これを偶然としたくないという思いになってしまうのです

最近になってサッカーに興味を持たれた方や、Jリーグ発足、そし
て94年のオフトジャパン、つまり至る【ドーハの悲劇】辺りからサ
ッカーに興味を持たれた方でさえ、この【カズ】という英雄をキチ
ンと知ってる方は少なくなってきました。

なぜ彼は【キング】と呼ばれるのか?
なで彼だけ特別な待遇でもてはやされるのか?

その発端は、彼のブラジル時代に有ります。
当時、サッカーがメディアを騒がす事が少なかった時代ですから、
知らない人も多いと思いますが、彼はただ単にブラジルでサッカー
を経験してきたわけじゃないのです。

ブラジルのトップチームでレギュラーになり、ブラジルのトップリ
ーグで活躍していたのです。

当時、サッカーファンの間で、彼の活躍は、とんでもない事件でし
た。

サッカー不毛の地とさえ言われていた日本から、サッカーの本場ブ
ラジルのトップリーグでプレイする選手が誕生したのです。

しかも88年にブラジルのトップリーグの1つ【コッパウニオン】に
出場した際、地元の記者が選ぶポジション別の評価でレフトウイン
グ部門で彼は3位に選出されたのです。

ブラジル時代、彼のバックには、何もありませんでした。
巨額な投資をしてくれるスポンサーも無ければ、日本のメディアも
僅かな人数しか彼を追わない。彼はそういったブラジルのトップま
で自分のプレイのみでチャンスを勝ち取り、結果を出して、本物を
見極められる地元の人に賞賛されたのです。

環境を整えてもらって移籍して活躍したわけじゃないし、無名の1
人のプレイヤーがですよ、しかも日本人がです。これには当時かな
りの衝撃でした。

そして、帰国後、彼は即座に日本代表に召集されました。帰国の要
因が日本代表に入り、代表のチーム作りに専念したいからだという
談話もあります。

この時、日本にとってW杯などは夢の又夢。それは成し遂げる夢で
はなく、思い描く夢にしか過ぎませんでした。

しかし、彼は言いました。W杯へ出場する為の戦いだと。
当たり前のことですが、それは余りにも遠く険しい夢であった為、
本気でそんなことを口にする人は居ませんでした。

その彼の実績、言動はまるでサッカー漫画の金字塔【キャプテン翼
】の主人公、大空翼の様でもあって、彼が日本のサッカーの意識を
本当の意味で世界に向けさせたのです。

そして、時は2005年、日本は彼が目指した夢の舞台、W杯に二回も
出場を果たし、来年には3度目のW杯に挑みます。

しかし、日本のサッカーを目覚めさせた当の本人である彼は、一度
もW杯のピッチに立ったことはありません。

彼は現役で有る以上、夢は諦めないと言い続けています。
その夢は、同じ時、同じ夢を見たJリーグ発足前夜の躍動を見届け
た当時のファンの夢でもあると思います。

38歳という年齢からくる衰えは確かにあります。
しかし、彼は本当に…もう終わった選手なのでしょうか?

J2横浜FCに移籍し、現役として終幕を感じさせた頃、くしくも彼の
元に届いたトヨタカップ出場のチャンス。

シドニーFCへの移籍は、確かに大会運営側の利権的な思惑が動いて
います。大会の目玉として日本人を出場させれば話題作りとして最
高です。

故にふってわいた、シドニーFCへの期限付きレンタル移籍の話し。

この流れに苦笑する人も居るでしょう。
しかし、私は思うのです。そういった利用される価値がまだ彼に有
るという事実、その事実を辿り寄せてるのは、彼の日々の継続とい
う努力の賜物だとね。

彼も、客寄せの為に自分が使われてることくらい判っているでしょ
う。しかし、客を寄せられる自分に誇りを持ってるんじゃないでし
ょうか?

過去の実績の貯金だけでやっていけるのは3年が限界です。それは
多くの失速していった選手を思い返せば明白です。

38歳の彼に、ここにきてチャンスが舞い込んで来る。これは彼の努
力が引き寄せたものであるとcocは思います。

そして、くしくも日本のドイツW杯でのグループリーグ対戦国が全
て彼のプレイした経験のある国で染まった。

これが物語なら、舞台はクライマックスに向けて最高潮な時です

しかし、これは現実。でも、見てる側としても諦め掛けていた夢が
再びジワッと燃え上がってきてるのも事実です。

ここまで書いてきて、書きたくてもガマンしてきましたが、やっぱ
り書いちゃいます!

カズさん、トヨタカップで世界に十分なアピールを残す結果を出し
、そしてジーコ監督、彼を代表に・・・。どうですか?ダメですか
?彼は本当にもう必要ありませんか?先発フル出場は無理でも、こ
こぞって時の切り札にどうですか?

正直、感傷に近いと思います。でも、もうこれが最後のチャンスな
んですよ。

2010年、彼は確実に世界と戦える状態ではなくなってると思います

このドイツW杯が、近代日本サッカー界、最大にして最高の立役者
である彼の夢が実現出来る可能性を残してる最後の大会なんです。

プロなのだから、結果次第、実力次第は当然。重々承知。
でも、こういう浪花節的なのも、悪くはないんじゃないかと思う。

事実、もしカズがW杯のピッチに立ったとしたら、あたし…確実に
泣くと思う。もうこの20年近い彼の様々な栄光と挫折の場面がフラ
ッシュバックしてきて号泣しちゃうと思うです。

なんていうか、彼のファンっていう感じじゃないんです。

もう、そういう存在じゃない。彼が日本のサッカーを世界に向わせ
た、つまり、日本サッカーの真の目覚めイコールで彼。90年代の日
本サッカーの全てが彼の背中にあるような気がするのです。

彼が98年のW杯直前に代表から漏れた時に、90年代の日本サッカー
は未解決の状態で中断したような気がしてるのです。

90年代の日本サッカー界の象徴だった彼の夢が叶った時、それが、
あの輝かしい躍進を遂げていった90年代日本サッカーの終幕の時な
んじゃないかと思うわけです。

事実、あたしは98年に彼が代表落ちしてから、日本のサッカーの時
間軸が枝分かれしたような気がするんです。

本来進むべき筈だった時間軸から、横に枝葉が出て、その後はその
枝葉で時間が進んで行ってる感じ。何か肝心な物を置いてきてしま
ってるような喪失感ってのがずっとあるんです。

彼の夢が叶った時、もしくは彼が体力の限界に達し引退を宣言した
時に、その別れていた時間軸が再び1つに交わる、そんな感じがし
てならないのです。

だから、出来ることなら、ハッピーエンドでエンディングは迎えた
いなぁっと思うわけです。

なんか、書き出したら長くなってしまいましたが、とにかく本日
(12日)トヨタカップでシドニーFCが登場します。そこでカズが結果
を出せるか否か、注目です!

それでは、今回はこれにて。
また次回の更新でお会いしましょう。


*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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