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乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方Vol.62 娯楽の王者故の責任とは?っという持論

よくcocは国内市場に流通するRPGとジャンルを謳ってるタイトルを
【和製偽RPG】と表現します。

しかし、そういった表現をしても尚、意味が通じないケースが多い
。つまり、それほどロールプレイングゲームはロールプレイングゲ
ームの姿を消され、完全に違うものに取って変わられているという
切ない現実が日本の市場での実体だからです。

ロールプレイングゲームの源を辿れば、テーブルトークロールプレ
イングゲームというものに辿り着きます。

cocがゲームは常に娯楽であり玩具であるべきだっと唱える理由の
根本がこのテーブルトークロールプレイングに大きく関係していま
す。

今の中高生が幼少の時、どのような遊びを経験してきたかというの
は、世代間のギャップで詳細に感知できませんが、cocが子供の頃
というのは【遊び】は【遊び方】を含めた諸々のパッケージスタイ
ルを与えられて、その範疇で遊んではいませんでした。

つまり【何で遊ぶ?】と友達と相談するのではなく【何して遊ぶ?
】いや、もっと具体的に表現すると【これで何して遊ぶ?】という
ところから入っていくのが当然の流れでした。

【これで何して遊ぶ?】の【これ】とは、ありとあらゆる素材を意
味しています。ボールや縄跳び、一輪車やローラースケートといっ
た遊具の場合もあれば、日用品の中から何かを引っ張り出してきて
は、これでこういうことしてみない?っという遊具そのものを作成
する所から始まることも珍しいことではなかったです。

だから、周りの子達は皆がそれぞれ遊びの神様であり、何かの制約
の中で何かをやらされてるなどということはありませんでした。

そういった遊び方の大前提に成人のインテイリジェンスを加えたの
がテーブルトークロールプレイングゲームであるとcocは思うので
す。

遊びを成立させる為に純然たるルールは不可欠で、そういったベー
スとなるルールのみだけは用意されているのですが、その世界でど
ういった遊びを繰り広げるかは、ゲームマスターが描くシナリオ次
第。

正にそれは、遊具のゴムボール1つを手に持ち、隠す、ぶつける、
投げる、当てる、誰がどこに、誰と誰が誰と誰をなどと幼い顔でボ
ールを囲んで、皆でその日の【遊び】を発明していたのと根本は同
じなわけです。

ゲームマスターが定めた世界の中で、何者かを演じて、その役割に
徹して遊ぶ。それはまさに【ごっこ遊び】であり、○○君がお父さ
んで、○○ちゃんは子供役、あたしはお母さんだよっと、ブラステ
ィックのお茶碗に土を盛ってママゴト遊びをしていたのと同じなわ
けです。

そのママゴトでは、子供達の各家庭の独自の常識が反映され、お父
さんは○○しなきゃいけないんだよ。お母さんが御飯作るときはお
手伝いしなきゃだめなんだよっと、寄せ集めた家族生活のルールを
混ぜ合わせ、遊びの過程で独自のルールを作り、それを楽しんでい
た。

テーブルトークロールプレイングの原点そのものです。

このゴッコ遊びの発展がテーブルトークロールプレイングであり、
それをビデオゲーム化したのが、俗にいうRPGというゲームジャン
ルの始まりです。

今で言うゲームデザイナーが世界を構築し、その世界の規律を定め
、大まかなシナリオを作りあげる。プレイヤーはその世界で物語の
主人公を演じることで、ビデオゲームの中でテーブルトークロール
プレイングのゴッコ遊びを1人で手軽に楽しめることになったわけ
です。

しかしながら、現在日本のゲーム市場に流通してる【RPG】と銘打
たれてる作品はどうでしょう?

その殆どが、主人公の性格設定から行動パターンまで決められてお
り、演じて遊ぶのではなく、物語を第三者的な立場から覗き見、そ
してなぞっていくだけのものが殆どです。

YESとも言えず、NOとも言えない。ただ決められた手順の中を決め
られた方法で進めて行く。これは極端に言えば、どこでどのボタン
を押すのかさえ事前に決められているとも言えます。

そんな状況を【遊んでる】とは到底表現できない、したくない。し
かし【何で遊ぶ?】世代には【これで何して遊ぶ?】という意味と
価値観が通じないから、現状のRPGがRPGじゃないと説いても理解さ
れない。それは【遊び】じゃなく【消費】なんだよっと言っても、
その意味すら通じない。

それが時代の流れや変化だと言う人いるが、本当にそうだろうか?
いやそうであってよいのだろうか?

ゲームは娯楽であり、玩具で有るべきなのに、娯楽の中で、玩具に
対して消費行動をやらされてる、しかもやらされてることに気付い
てないというのは、実はかなり恐ろしいことなのかも知れないと最
近更に感じるようになってます。

遊びが遊びの仮面を被った消費行為にすり替わった、すり替わった
ことに気付かず消費行為のサイクルに放り込まれてるから、いざ遊
ぼうとした時に何をしたら良いのかわからないという極めて深刻な
状態になるケースが多発してるんじゃないでしょうか?

【遊ぶ】ということはとても大切で、それは子供であろうが大人で
あろうが境目などなく、人の持つバイタリティの根源に繋がる欲求
だとcocは考えます。突飛な例えですが、刑務所に収監されてる受
刑者にも一定の自由時間や娯楽に興じる時間を与えられています。
それを息抜きとも言いますが、息抜きとはなんでしょう?

抜くということは、詰め込んでる何かがあるわけです。それが息。
息とは呼吸。人が生きていく上で不可欠な呼吸を抜くという行為と
いうのは、人が生きていく上で、合理的な要素ばかりを詰め込んで
いても健全な状態を維持出来ないということを表現してる言葉なの
ではないでしょうか。

次の呼吸をする為には、吸い込んだ空気を肺から排出しなければな
りません。勉強や仕事に取り組んだ後は、次へ進む為に吸い込んだ
物を一端吐き、もう1度吸いこまないといけないわけで、そこで必
要となるのが吸う力。それが活力でありバイタリティであったりす
るのではないかと思うわけです。

そして、その活力を満たすのが娯楽などの【遊び】を求める欲求心
を満たしてやることなのではないかと考えています。

しかし、現状のビデオゲームの流通作品の大半を占める割合となっ
てるRPGは、遊びと称して中身は消費行為の強制。これではゲーム
で遊んで息を抜くどころか、ずっと息を吸い込んだ状態のままに成
りかねないです。

学業や仕事でストレスを蓄積させ、ゲームでもストレスを溜め込ん
でいく、それが慢性化していくと、ストレスを与えてこない【遊び
】という場面に遭遇しても逆にストレスを感じれないことの方に違
和感を感じて【何をしたら良いのかわからない】とノルマや消費指
示がない状況に困惑するという状態になるのではないでしょうか。

ここでは、現状の和製偽RPGを取り上げて書き進めてきましたが、
これらは娯楽のスタンダードと成り得たビデオゲーム全体に言える
ことだと思っています。そしてこれら本来は【遊び】であるはずの
ゲームが消費行為の強制を促してる傾向が強いという事実の方が、
全く事実無根のデタラメ論である【ゲーム脳】や残虐なシーンが折
り混ぜられてるR指定タイトルの存在なんかよりも、健全な人間を
狂わせる要因に成り得てるのではないかと危惧すべきなのでは?っ
と思っています。

故にcocは遊びは遊びであるべきだし、ゲームは娯楽であり玩具で
在り続けるべきだと考えるのです。


*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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