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乙女日記 Vol.1294 最大限言葉を選べば【未成熟】気兼ね無しで言いきるなら【救いようのないバカ】な大人達。

なんでも、日テレで放送されているドラマ【14歳の母】に対して、
視聴者から抗議が殺到してるそうですね。

"子供に安易な性意識を埋め込む事に助長する可能性がある"
"児童が出産するという厳しさを伝えてない"
"真似をして軽はずみな行動をする子供が増える"

などなど、つまり"けしからん!"っという声が多いそうです。

しかしね、題材的に、多かれ少なかれ物議を醸し出すのは意図して
制作されてるドラマであり、こういった子供の性意識に繋がる問題
を提示されて、それを受け取った大人がTV局に抗議…

そんなに大人って未成熟なんですか……?

安易な性意識に踊らされ、軽率な行動を起こさないように子供に語
る事が大人の役目でしょうに。子供に向けなきゃいけない意識を、
TV局に抗議ですか…

問題提起してるのに、全く消化もせずに、抗議と形でオウム返しさ
れるんだから、呆れ果てますね。

大人、そして親として負わなければならない役目を放棄、いや、放
棄どころか、それすらも感じてない幼稚性に満ち、責任の所在も見
ようとしないで抗議するなんて…。恥ずかしいにも程があるだろ…
っと。

しかも、今の親と言われる中心層って30代から40代でしょ。cocと
しては理解の範疇の世代なのに、こういう無様な様相を露呈してる
現状に絶望感に近いものを感じます。

現実はドラマのように美しくない。劇中でそれが語られていないっ
と抗議する人も多いとか。

14歳で出産するなんてことになれば、とんでもなく過酷な重圧と好
奇の目に晒されもするし、自身の生活設計がどれほど大事か。子供
を産むという事は子供を育てる事で、育てるということは、これか
ら少なくても18~22年は養育する立場に成るという事。養育すると
いうことは働くということで、2人分の生活を維持する収入を20年
間継続しなければいけないという点。これらをドラマで描けと?

どこまで子供の教育の手抜きをするつもりなんだ…
TVが教育を請け負えと?子供が理解出来る表現で親切丁寧に解説入
れとけと?

バカか。TVは娯楽だ。娯楽を娯楽として消化し、受け取れる感受性
の成長を促すのは親の務めだろ。

TVもそうだけど、ゲームも然り、漫画も然り、何か突出したテーマ
の作品が話題になれば、子供に悪影響がどうのこうのって。うるせ
っつーんだよ。

見たもの、感じたものをどう消化し、ろ過して取り込むかの基準と
なる下地を作るのが親の子育てでしょうに。間違った受け取り方を
して、真似するべきでないことを真似したのなら叱れ!

言い聞かせない、叱らない(感情に任せて怒りはするくせに)、与え
る物に慎重にならず、問題が起きれば、与えた、または放置した自
分はそっちのけで、世の中、メディアの責任へと刷り変える。

ほんと、便利な世の中になったものですね。自分の子供の言動、行
動の責任をよそになすりつけても、恥ずかしさを感じない時代なん
ですから。

でもね、そうやって肝心な部分をないがしろにしてれば、必ずその
"なんちゃって子育て"のしっぺ返しは親に返っていきます。

で、そんな手抜きの子育てが横行してるから、相手を死に追い込む
程のイジメを平気顔でできてしまえる子供が量産されるのです。

イジメなんて、なくならない。なくなるはずがない。だけどね、死
に追いやるってのはもうイジメじゃない。相手を死に追いやった所
業をイジメと称するのが根本的に間違ってる。

そういうのは、拷問って言うんです。例え肉体的な攻撃がなかった
場合にしても、それは精神的な拷問。

学校という閉鎖された世界で集団が個人に拷問を行ってる、それが
現状の実体。

昔と今ではイジメの質が変わった、昔は死に追いやるほどのイジメ
なんてなかったっと語る人もよくいますが、そういった解釈がそも
そも間違い。質が変わったんじゃない、今でもイジメはあって、そ
れとは別に拷問が存在してる。

しかし、それを拷問と認めず、イジメと定義してしまうから、そこ
に犯罪性や罪悪感を強く感じないまま、加害者は自分達の行った拷
問行為に悪びれず、シレっとした顔で生きていける。

この拷問を拷問であると、つまり犯罪行為であると掘り下げない社
会の深層心理には、結局のところ責任転嫁があるんだと思います。

"学校でイジメがあった"と"学校で拷問が行われた"では、その問題
に関わる事柄の様相がガラリと変わります。拷問となれば、犯罪。
学校だけの問題で終りはしない。勿論、加害者自身の責任追及は当
然のこと、14歳以下の加害者の場合、少年法との摩擦も生じる。だ
けど、イジメとしておけば学校の問題。学校の管理能力の責任に出
来る。親も社会も学校や文科省へ責任を負わせ、罪悪感に苛まれれ
ずに済む。故に学校で起きてる拷問をイジメと定義し続ける。

しかし、起こった行為を学校というフィルターを外し場合、紛れも
なく拷問でしょ。

例えが少々乱暴ですが、理工に長けてる生徒が爆弾を作ったとしま
しょう。それを学校に設置し爆破したとします。この行為は【校内
暴力】ですか?学校内の責任ですか?

今の子らはやらないと思うけど、窓ガラスを割ったりしたら、それ
は法的に【器物破損】ではあるけど【校内暴力】の範疇として処理
可能でしょう。しかし爆弾は【校内暴力】じゃないでしょ。

ケンカした、ムカついたから殴った。生意気だから持ち物に嫌がら
せした。そういったよくあるイジメと、人を死に追い込むほど陰湿
で殺意にみちた集団拷問をイジメと称する。そうです、爆弾で爆破
を行う行為を校内暴力としてしまってるのと同じです。

イジメには衝動的な悪意が存在する。しかし拷問には持続する殺意
が存在する。殺意を安易に開放し、それを持続するような子供を作
り上げたのは、他ならぬ親。

教師を教育者でなく、テキストカリュキュラムの進行係に貶めたの
も親。今の時代、教師が生徒を殴ったら大問題でしょ。

でもね、本気で子供を教育しようと正面から向き合えば、時には殴
る事も必要な場合はあると思うんです。でもね、親が本気で子育て
してないから、教師が本気で生徒と向き合った際に行使した腕力を
、暴力としか受け取れないんです。

"うちの子に何してくれてるんだ!"っとなる。殴らないまでも厳し
い事を言っただけで、うちの子の人権を無視するな!っとなる。

これじゃ、教師は教育を本腰入れて出来ない。で、親も子育てはお
ざなり。結果、放し飼いとなった理性のコントロールが未熟な未成
年達は、罪悪感を感じることなく恐ろしい行動に至ってします。そ
の後は、その責任を学校になすりつけていく。

こんなことが、30年近く行われてる。そして、その間違いを正そ
うとしないんだから、今後も、学校での集団拷問の犠牲者は後を絶
たないでしょうね。

拷問を躊躇なくやれてしまう子供を量産する現代の親。まずはそこ
から死ねばいいのに。(毒じゃない。結構本心)

TV局に抗議する暇があるなら、子供ともっと向き合え!
それが、お前らの仕事だ!っと最後に付け加えて、今回は終わると
します。

それではまた次回。


*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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