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乙女日記 Vol.1644 残念

ずっと資金難を抱えていたF1チームのスーパーアグリが次戦のトル
コGPを目前にして、F1からの撤退を発表しました。

非常に残念なニュースですけど、正直こうなることは今期開幕前か
ら予測されていたことですし、案の定といった言葉が先に浮かび、
驚くことはなかったというのが正直なところです。

3年前当時、Hondaチームに所属していた琢磨を襲ったレギュラー
シートの強引な横滑り喪失問題。そこに端を発して結成されたスー
パーアグリというチームはHondaが佐藤琢磨に示せる最大限の謝罪
でした。

2004シーズン、当時はまだHondaのワークスチームではなくBARチー
ムにHondaがエンジン及び車体の共同開発と技術を供給するという
スタイルでした。

しかし、それは表向きであってBARというチームはもともと英国の
名門チーム【ティレル】を【British American Tobacco(ラッキー
ストライクなどのブランドを有してるタバコメーカー)】が買収し
て誕生したチームで、BARの二年目となる2000年からHONDAと手を組
むようになりました。

しかし、サポーティング当初からHondaはワークスチームへのプロ
ジェクトプランがあり、エンジン供給だけでなく、車体の共同開発
やチームフロントに至るまでスタッフを介入させ、名門ティレルの
名残を残しつつあるチームの中で野心的にチームの乗っ取りを(悪
い表現ですが…)遂行してきました。

一方、佐藤琢磨はHondaの秘蔵っ子で、2001年にイギリスF3シリー
ズで日本人初のシリーズチャンピオンを獲得し翌年の2002年に
Hondaの後押しで当時のHondaのエンジン供給先であった【ジョーダ
ン・ホンダ】にてレギュラードライバーとしてデビュー。

しかし、ジョーダンとHondaのサポート契約が切れた翌年の2003年
、琢磨との関係を強いものとしておきたいHondaは彼を【BAR・ホン
ダ】のテストドライバーへと引っ張る。

この時既にHondaの構想の中にワークスチームとしての参戦、その
ドライバーに琢磨という熱烈な意図があったのではないかと推察し
ます。

真相はどうにしろ、シーズンをレギュラーシートで戦ったドライバ
ーがテストドライバーになるというのは、落第点を出されたに等し
く、そこからレギュラーシートを再度勝ち取るのは困難ですが、一
年後の2004年にアッサリと琢磨はレギュラーシートを獲得。

しかし、これは予定されていたシナリオで、2000年からBARにサポ
ートをしていたHondaとしては、チーム乗っ取りの政治的な動きの
真っ最中で、旧ティレル派とBAR派のスタッフの粛清を行ってる最
中でした。

2003年にHondaはBARの設立者であるボロックを更迭し、彼と強い繋
がりのある元ワールドチャンピオン【ジャック・ヴィルヌーブ】を
チームの中で孤立化させ(ボロックは元々ヴィルヌーブのマネージ
ャーだった)、翌年の2004年にヴィルヌーブがチームを去るように
仕向けていました。

なんか、こう書くと、Hondaが物凄く悪いやつらみたいな感じです
が…、まぁ巨大資本と政治が交差するのがF1ですから…

で、設立者のボロック、ドライバーリーダーのヴィルヌーブを排除
したHondaは、その傍らで旧ティレル派との融和を推進しており、
その一環としてティレルの本拠地であるイギリスのドライバーであ
るジェイソン・バトンと契約し、ホンダ=日本という色だけで塗り
潰す動きに反発しそうなティレル一派を味方に付けることに成功し
、チーム内の勢力図をイギリス&日本という形に仕上げる為、2004
年に琢磨をレギュラードライバーに昇格させました。

その後、ボロックとヴィルヌーブというBARの象徴的な存在であっ
た者を排除し、ティレル一派と融和を果たし、チーム内のバランス
をイギリスと日本の等価関係にすることが出来たHondaは旧ティレ
ル派の後押しを経て、2005年のシーズン途中にBARを全面買収。
2006年シーズンから1968年以来となる【オールホンダ】としての参
戦となったのです。

しかし、BAR時代から内紛の絶えなかったチームはこれで収まるこ
とがありませんでした。

事件はその動きの最中に起きました。時はまだBARホンダ時代(内情
はホンダが実権を掌握していた頃)

旧ティレル派を掌握する為の鍵として用いられたバトンとの関係が
悪化し、バトンはウィリアムズチームと水面下で移籍交渉を行い、
契約をしてしまう。

来年(2005年)はウィリアムズに行く。そうバトンが発表したのです

Hondaとしては寝耳に水でした。何故なら、バトンが移籍を口に出
したのは、2005年の契約をホンダと済ませた後だったからです。

この問題は裁判まで発展し、バトンの保有権を巡っての争いは長引
きました。

ひとまず、2005年のバトンの保有権はBARホンダに認められたもの
の、「それじゃ2006年はウィリアムズに行くからね」というスタン
スをバトンは取るようになり、ウィリアムズ側もバトンの保有権を
巡って再三主張を強め続け、2006年のホンダからバトンが離脱する
のは割けられない事態となっていきました。

その為にバトンに変わるドライバーということで、すぐさま来期
(2006年)のドライバー探しを開始します。

そこで目を付けたのが、シューマッハとの関係に不協和音が生ま
れ、フェラーリから降りたがってるルーベンス・バリチェロです。

最強のセカンドドライバーと言われた彼に契約を打診するにも単年
契約では見向きもされないだろうと考えたホンダは彼に3年契約の
打診を行う。この契約は両者の思惑が早い時期に一致を見てスンナ
リ契約成立。

しかし、ここからが問題だった。ウィリアムズに2000年からエンジ
ン供給してるBMWが2006年から独自参戦をすると言い出し、2005年
を最後にウィリアムズへのエンジン供給を終了すると発表したので
す。

その時、有力なエンジンメーカーは既に他チームとの契約で固まっ
ていて、新たに供給してくれと打診したところで、トヨタ、ルノー
などの戦えるエンジンを持ってるメーカーにもエンジニアの人員的
限界や政治的な問題等々もあり、そう簡単にハイパフォーマンスな
エンジンを手に入れることは難しく、名門ウィリアムズは一転【エ
ンジン浪人】という窮地に陥ってしまったのです。

その問題が発生した直後、ウィリアムズに移籍するというスタンス
を崩さなかったバトンが突然残留を希望しだしたのです。

ここから先の流れの真実はわかりませんが、結果的にホンダは2006
年シーズンのレギュラードライバーはバトンとバリチェロの2人で
行くということになってしまいました。

まぁ、推察するに、バトンと琢磨の2択であって、チーム内の政治
的背景、資金的な背景などでバトンを選択することになったんでし
ょうね。つまりイギリス人ドライバーを残留させるか、日本人ドラ
イバーを残留させたほう良いのか。チームとしてどちらがベストだ
っという話ですね。勿論総意で決まったことではないでしょう。そ
の証拠が後のスーパーアグリの発足なわけですし。(水面下では琢
磨を乗せるという条件でウィリアムズにホンダがエンジン供給する
という話もあったようです)

僅か二年でレギュラーシートを再び失ってしまった琢磨。しかし彼
は2004年シーズンに表彰台に上がってるドライバーです。そんなド
ライバーにこれから三年間(バトンも3年契約になってしまった為)
テストドライバーになってくれ…っとは言えません。

しかし、各チームのシートは移籍シーズンの終盤という時期的なこ
ともあって空きがないわけです。

一年浪人させた手前、ホンダとしては琢磨に最大限の償いをしなけ
ればなりません。

まぁ、完全に琢磨を手放し「すまない。本当にすまない。来年は諦
めてくれ。だが2007年に君がF1に戻れるように最大限のサポートは
約束する」といって琢磨を放り出しても良かったと思います。しか
しホンダはそれが出来なかった。

そして、ホンダが選んだ決断とは、琢磨の為に新チームを立ち上げ
て、そのチームで参戦してもらうという、有り得ない結論でした。

アイドルグループからメンバーを何名かチョイスして、少人数ユニ
ット結成ってな具合にお気楽に出来ることではありません。

膨大な資本が必要ですし、ワークスチームとして動き出したホンダ
としては手一杯のエンジニア達に、更に1チーム分余分に仕事して
くれというわけですから(技術協力という意味で)無茶苦茶過ぎま
す。

しかし、本当にチームは結成され、鈴木亜久里に代表になってもら
って、不可能と言われ続けた五ヶ月でチームを作り上げるという奇
跡をやってみせたのです。

しかし、ルールのしがらみはきつく、資本の影響がこれ以上強くな
ることを懸念してるFIA(国際自動車連盟)は名義を変えただけのビ
ックチームのセカンドチーム運営の禁止をルールに盛り込んできま
した。

これによって、ホンダが全面的にバックアップすることが叶わず、
新規参入チームの宿命である資金難に2年目から悩まされることに
なったスーパーアグリは、三年目の今期、契約していたスポンサー
に一方的に契約は破棄されて資金の目処が立たなくなってしまい、
とうとうトルコGP目前で力尽きたわけです。

まぁ、元々、一人の日本人ドライバーに走ってもらう為に作ったチ
ームという前代未聞な存在でしたし、長く続けるのは困難だと思っ
てました。

でもせめて丸々3年は走ってほしかったなぁっていうのが正直なと
ころです。

さて、チームが解散してしまいましたが、問題は我らが琢磨の今後
です。

さすがに今期はもう無理でしょう。日本GPに何処かのチームがお金
欲しさに彼にスポット参戦を打診するかもしれませんが…。

問題は来期です。琢磨ももう31歳。F1で戦える時間もそんなに残
されていません。しかし、まだ彼は終わったドライバーでないこと
は、彼の走りを見ていればお分かりでしょう。

この二年半。圧倒的に戦闘力の劣るマシンで、自ら目指せる課題に
最善の努力をし、堪え偲ぶ走りをしてきた彼のドライバーとしての
力は、表彰台を勝ち取った4年前より遥かに上がっています。

スタートの上手さは誰もが認めるところで、オーバテイク、ブロッ
キングのテクニックもかなりハイレベルなものとなっています。

まだまだトップで戦えるドライバーであるとcocは確信しています

やはり濃厚な線は、ホンダ移籍後不振続きのバリチェロの契約が今
期で切れるので、その席に琢磨が座るという流れでしょう。

今期からホンダチームの代表に就任した【ロス・ブラウン(ベネト
ンの黄金時代を築き、フェラーリの名門復活を果たさせた傑物)】
も今年に入って琢磨を評価するコメントをわざわざプレスの前で言
ったりしてるので、既に琢磨のホンダ復帰の伏線は張られてるんじ
ゃないかなっと思ってたりしてます。

ただね、問題は…ホンダチームがまだ一枚岩でないとこですね。チ
ームCEOのニック・フライという人物がやたらとホンダ、つまり日
本人スタッフのやることに口を挟み続けてるんです。てめぇ!誰に
雇われてるのかわかってんのか!って感じなんですが、とにかくこ
のフライがウルサイ。

バトンor琢磨の選択の際にもフライが強引にバトン選択を進めたら
しいという噂もあるし…。

ロス・ブラウンとニック・フライが結託なんかしだして同調してし
まうと、日本人はホンダのエンジニアだけでいい。それ以外は俺ら
白人がやることだから黙ってろってな具合になりそうで…

そうなると琢磨の復帰も難しい…

ホンダ側の面々の琢磨への禊は2年半のスーパーアグリとしての参
戦で十分果たされてるという見方もできますしね。

正直、今度ばかりは予測難しいです。

本当いうと、スーパーアグリは何とか今期一杯走って、今期終了と
共にチーム解散、そして琢磨は来期ホンダに復帰という流れになる
だろうと予測してたんですけど、シーズン途中で解散となってしま
っては、随分と状況も違ってきますし…

つーかさ、ホンダとしてはさ、あんだけ琢磨にこだわり続けたんだ
し、彼のF1ドライバー人生をメチャクチャにしちゃったんだから、
引退までキチンと面倒みろ!

ニック・フライがなんだ!あんなのクビにしちゃえw

だってニック・フライがCEOになってから(彼がCEOに就任したのは
2005年)ホンダが弱くなったじゃないか!

あの2004年の大躍進をどうしてくれるんだ!年間2位だぞ!2位。
なのにアイツが来てから、どんどん遅くなる一方で、アイツの仕事
って日本人スタッフに皮肉言ってるだけじゃんか!

疫病神に違いない!

………ま、とにかく今後の動向を注視していかねばなりませんね。

繰り返しになりますが、琢磨はまだ終わったドライバーじゃないで
すからね。

本当に上手くなったし、速くもなった。

あの親のコネとトヨタエンジンのバーターでデビューを果たした坊
やより断然琢磨のほうが上。これは誰が見ても納得なはず。

つーことで、亜久里さんお疲れ様でした。明らかにやつれて行く姿
は悲壮感アリアリで、いくらなんでも可哀相過ぎましたよ。

一つ悔やまれるのが、チーム解散の発表をする際に、その理由を聞
かれて「電気系統!」っと言ってくれなかったことですw

もし、ソレを言ってくれてたら、一生崇拝しましたのにw

さて、連休の最後に残念なニュースが飛び込んできて気分的に随分
とショボーンな感じになってしまいましたが、琢磨の来期ホンダ復
帰を信じ、願い、そしてニック・フライを調伏する勢いで呪いつつ
今期のホンダを応援していくと決めたcocさんです。

それでは今回はこれにて。


*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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