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乙女日記 Vol.2012 期待してなかったのが幸いしたのかな

毎年、放送開始当初と、最終回を終えた後に文句を言いまくるのが恒例なNHKの大河ドラマですが、今年の【龍馬伝】は意外や意外、中々いい感じです。

まぁ、期待という意味ではゼロに等しかったんで、今のところは面白く見れてるのかもしれませんけどね。

なぜに期待してなかったかと言いますと、やはり龍馬を扱うとなると、どうしても司馬遼太郎先生の【竜馬がゆく】をどこまでトレースするかという問題を内包してしまうんです。で、結果的に中途半端な駄作になるというのが宿命みたいになってるんで、今回の【龍馬伝】はかなりの地雷率を覚悟していたんです。

加えて言うなら、昨年の【天地人】が醜悪すぎたのも記憶に新しく、NHKの大河という括りでも、期待してはいけないぞっと思っていたのです。

だけど、いざ初回放送を見てみると…意外や意外。キチンと"大河" "ドラマ"としていて、大作らしい雰囲気を醸し出してるし、龍馬と同じ土佐藩郷士の岩崎弥太郎(後の三菱財閥の創業者)の目線から語られる回想録としての物語の繋ぎ方も、史記や伝記的な紡ぎ方をしている【竜馬がゆく】とは物語の見せ方自体が異なるので、変に【竜馬がゆく】を意識することなく見れます。

あと、龍馬の幼少期のエピソードを大雑把に端折ったのは正解のような気がしました。

酷い身分差別が行われてた土佐藩、そして郷士と上士の関係、そして母の死というエピソードだけに絞って幼少期を早々に済ませてしまったことに、ディープな龍馬ファンは憤慨してるかもしれませんけど、coc的には当時の身分差別と母の死以外はそれほど重要ではないと思ってます。極論を言えば、江戸に剣術修行に出て、黒船来襲を目の当たりにしてからが龍馬の本番だと思ってるんで。

ただ、幼少期編について1つだけ残念に感じたのは、土佐藩の身分制度の根底について、もう少しドラマの中で説明みたいな感じのが挟み込まれていれば良かったかなっと思いました。

有名な事実とはいえ、知らない人も多いだろうし、"身分制度"と端的に括るだけじゃ、なんか軽い感じがするんですよね。土佐藩の身分制度を単純に身分の制度だって片付けてしまうと、当時の郷士の中にある怨念、親から子へと引き継がれてきてた恨みといった背景が伝わりにくいと思うんです。

サラっとでも良いから、描いておけば、龍馬の奔放さがより際立ってたと思います。

ちなみに、その件について軽く説明しますと、関が原以前の土佐国を支配していたのは長宗我部家で、関が原後は山内家が支配しています。関が原で西軍に組した長宗我部家は東軍の大将であった徳川家から改易され、土佐に残ってる長宗我部家に使えていた家臣の一族や国人(土着の士族)達の決起(主家再興を目的とした)を押さえ込む為に家康から信任が厚かった山内一豊が掛川から土佐へと所領を変えて土佐入りしました。その後、山内家は長宗我部家に縁がある武家、士族を徹底的に弾圧し、彼らを郷士、山内家の家臣すじの武家を上士と定め、厳格な身分制度を施行したのです。

元々、長宗我部家は土佐の国人衆から出世して、大名にまでなった家ですから、土佐人達の信望は厚かったようです。そこへ余所者の山内家が入り込んできて支配したわけですから、生半可な圧政ではなかったでしょう。郷里を踏み躙られた屈辱を抱え込みながら、上士から受ける人外扱いに200年以上耐え忍んできてたのが、幕末の土佐藩郷士なのです。

ただ、これを逆説的に言えば、200年もの間、常に大規模な暴動の発生が起きる可能性が高い中で、土佐を収めてきた山内家の苦悩というのもあったでしょう。生半可な統制では押さえ込めないからこそ、圧政で押し付けてきた。そうしなければ、長宗我部家に縁のある士族や土佐国人衆が大挙して立ち上り、自分達が皆殺しに合うわけです。そういった恐怖と常に背中合わせで過ごしてきた山内家の200年という側面もあるわけです。

ここらへんの、勝った者の宿命と負けた者の宿命が200年掛けて複雑に入り組んでいたという世情背景をドラマの中でキチンとフォローしておけば、身分という枠を飛び越えて自由奔放に立ち居振舞う龍馬の奇異な存在感がもっと際立たせることができたんじゃないかなぁって思ったしたのです。

その土佐の過酷な身分制度への思いが、後の大政奉還という世界史においても類を見ない大改革に繋がるわけですしね。

でも、だからってドラマに不満有りまくりというわけじゃなく、二話を見た段階で早計ではあるかもしれませんけど、近年では稀な良い出来の作品になっていくのではないかと思ったりしてる次第です。

そして、その予感が現実のものとなっていくことを強く願ってるcocさんなのでした。


*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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