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乙女日記 Vol.2099 判り易いというか、ありがち…


もう、2年も前に発生した事件【秋葉原殺傷事件】の16回公判が行われ、その公判の様子のライブ記事をなんとなく読み出したら、ついつい読み耽ってしまいました。

■「秋葉原殺傷 第16回公判」特集 http://www.iza.ne.jp/news/feature/6190/

全公判の記事を読んでるわけではないんですが、今回アップされた16回公判を読む限り、加藤被告という人物は、ある意味で非常に判り易いというか、彼の人格形成から欠点などについて、起承転結がハッキリしてるなぁって感じました。

母親は息子を意のままにしたいという意味で依存し、それに抵抗することを諦め、従順になるという意味で依存する。母親に意志を伝えても取り合って貰えないことで、他者に対する意思表示の方法が歪んでいく。

そして、自分を意のままにしようとした母親を嫌悪しつつも、自分の意志を直接言葉で表現しなくても相手には通じるであろうと、遠回しで曖昧な意思表示を事有る事に繰り返してるという部分は、自分の世界観の押し付けであり(こうしておけば、わかるだろう等)、それは母親が彼に対して行った押し付け行為と本質は同じですよね。

そこに、家族から阻害されてきた環境から生まれた、"かまって欲しい"という性質が加わり、周囲に自分を理解して欲しい、周囲は自分に関心があるという自己中心的な世界観が出来上がり、自分がこういう行動を取ったなら、相手はこう思うはずだっといったような妄想の中での自己完結的な解釈で様々な行動を取ってきてます。

でも、他人は他人に基本的に余り興味がないのが現実。親しくも無い彼の取った行動、つまり無言のアピールに気付く人などいない。そして気付かない他人に彼は腹を立てる。

正に子供です。グズってる子供ですね。

子供の時に、しっかりと子供をやってこれなかった場合、こういう風に大人になってから子供に戻るみたいな退行現象が起きやすいんじゃないでしょうか。

まぁ、簡単に言えば、"かまってチャンのストレスが大爆発しただけ"ってことになるんでしょうけど、そこに至る経緯で、母親の影響が強いなぁって感じました。

虐待した親の子は、自分が親になれば虐待をするとは良く言いますが、虐待という直接的な継承ではなくても、母親が放った負の連鎖をしっかり受け継いじゃってますよね。

無言のアピールに拘り、それがダメならすぐに直接行動にでるという所が、自分の意志に反するものは認めないという母親の育て方の影響をモロに受けてます。

教育ママ、押し付け教育、傍観のみの父親。見事なくらい揃ってます。これで彼が彼として(犯罪者となった彼という意味)完成しなかったら、逆におめでとうって感じですよ。

つまり、このモンスターはモンスターから産まれ、モンスターが手塩にかけて、一流のモンスターに仕立て上げたってことです。

そういう意味では、彼の人と成りについての起承転結は明確だし、無差別殺人という無秩序的な犯行についても、理路整然としてるなって感じます。

って、こんな書き方をすると被害者を蔑ろにしてるみたいですけど、別にcocは彼や彼の犯した犯罪を肯定しているわけじゃありません。ただ、公判記述を読んで、彼がそこ(秋葉原殺傷事件)に至った経路について感じたことを書いたまでです。

なので、彼を肯定しません。こういう環境で育った人は沢山いるでしょうしね。そんな人らが皆こういった犯罪者になるわけじゃないですし。そういう意味では彼自身が抑制できなかった自分勝手さは、犯した犯行の凄惨さを加味すれば、情状の余地はないと考えます。

ただ、三流ゴシック誌の見出しのようなことを書きますが、ある意味で彼も被害者なんだろうなってことは、今回の16回公判の記事からは感じ取れます。でも、そこに自ら踏む込んでいったのは、自分勝手な甘えであるし、それに付き合わされて命を奪われた直接的な被害者は無念の極みでしょう。

なので、敢えて言葉を選ばずに…っというか、汚い言葉で言うなら、被害者面して可哀想な人の振りまでした挙句、構ってもらえなかったからって八つ当たりで人殺してんじゃねぇ。って感じです。


さて、これ以上書き続けても、この事件についての真の結論に辿り着けるわけではないですし、公判記事を読み耽って感じたことを、そのまま書き記しましたっていう程度で今回は終わりとします。

それではまた次回です。






*原文投稿時間不明の為、00時00分として転機しました。

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