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乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方 Vol.90 現実味が出てきた夢 前編



随分と昔から、cocは次のビデオゲームのステージは各種視界、荷重センサーを搭載したヘッドマウントディスプレイ(HMD)によるヴァーチャルリアリティ(VR)の実現にある。っと語ってきました。



最近になってようやくその動きが活発化し、海外で先行されていたそれらの技術に日本も追随をはじめ、SCEがPS4周辺機器としてそういったものを開発してることを公にしましたが、実際のところ、それらがビデオゲームの世界に新世代ルネッサンスを巻き起こすのは、もう暫く先になると考えてます。



なぜなら、コスト面の問題が難点ではありますが、VRゲームを念頭においた各種センサーを搭載したHMD、(このテキストの中では便宜上そういったデバイスをヴァーチャルリアリティディスプレイ(VRD)と表記していくことにします。)というのは作ろうと思えば数年前から可能なのです。



実際、コスト面は勿論、各種センサーの精度等の調整と開発が難しくもあるので、デバイスとしてもまだまだ途上段階というのが現実ではありますが。



ただ、それより問題はコンテンツの開発です。



VRDは、ただ映像をゴーグルモニターに映し出すといったものではありません。視界の動きをトレースして、自分の視界の動きと映像をリンクさせて実体感を生み出すものですので、既存の3DゲームをVRDに映しても、全く機能しません



それはゲームとしての遊びの部分の根本から違うということを意味しています。



乱暴な表現になりますが、既存のビデオゲームは30年前から今も遊びの根本はなんら変わっていません。



ファミコンもPS4も、ゲーム映像を映し出されたモニターを覗き込み、ゲーム映像が2Dであろうと3Dであろうと、1人称であろうと、3人称であろうと、モニターの映像を俯瞰で捉え、その映像に対して、コントローラーデバイスで操作信号を送るというスタイルは同じなわけです。



幼児がクレヨンで描いた絵と、プロのイラストレーターが最新の描画ソフトを駆使して描いた絵というのは、絵という部分で括り、見て楽しむという鑑賞物として捉えれば、極論的に同じものであると言えるように、ダックハントとコールオブデューティも同じものなのです。



だから、ゲームが売れなくなってるのです。30年も同じ遊びを提供してきて、喰い付きが悪くなるのは当然です。



据え置き機が売れず、携帯機ばかり売れるのも、結局コレに起因します。加えて携帯機のスペックが向上しましたから、30年続く同じ遊びを遊ぶくらいなら、携帯機で十分事が足りると、潜在的にユーザーが感じちゃってるから、据え置き機よりも携帯機が売れるのです。



無論、携帯機の売れる要因というのは、それ以外にも、パーソナル端末化出来る点、時と場所を選ばず起動出来る手軽さなのも含まれてはいますが、結局は携帯機で十分だと思われてしまってるのが一番の原因でしょう。



何故、携帯機で十分なのか。それは繰り返してるように、据え置き機を通して動くゲームの遊びの部分が結局何も進化してない、据え置き機でなければ出来ない遊びというものを発明してこれなかったからです。



これも、同カテゴリーの過去のテキストで繰り返し書いてることですが、ゲーム機のスペックが上がり、3Dゲームが容易に実現出来るようになり、ゲームの動的表現力が大幅に向上した20年前に、それ以前では制作側の意図する表現を実現することが出来ないゲームはテキストアドヴェンチャーというジャンルか、それに近しい静的グラフィックとテキストを組み合わせたゲームで発表されていたような作品がこぞって3Dアクションゲームとして世に出されるようになりました。



分かり易い例でいうと、バイオハザードシリーズなどがソレらの代表格です。バイオハザードを制作側の意図する表現力をギリギリ維持できる形で、ファミコン時代にリリースするとなれば、テキストアドヴェンチャーか、それに準じた、テキスト主体の何らかの複合スタイルで出すしかなかったでしょう。



しかし、3Dゲームというものが容易に作れるようになったことで、バイオやそれに近しいアイディアを暖めていた制作側は自分らの表現したものを、有る程度そのまま具現化出来ることになり、多くの3Dゲームが世に産み落とされました。



しかし、この変革ですらも、2D時代から続くゲームの”遊び”という根幹部分の進化を促すものではありませんでした。所詮表現のスタイルの選択肢が増えただけに過ぎません。



ただ、3Dゲームの次に業界が選んだ次のトレンド”オンラインゲーム”に比べれば、3Dゲームという潮流はまだ辛うじて新しさを感じさせてくれてた分、ゲームという遊びには良い影響をもたらしたと言えるでしょう。



そして、オンラインゲームです。これを3Dゲームの次のトレンドに据え置いたのが、ゲーム業界最大の失策であったとcocは考えてます。



確かにオンラインゲームは面白い。しかし、その面白さというのはネットワークを介しても、ネットワークを介せずローカルで友人と一緒に遊んでも、その面白さに大きな違いが無いという観点で、遊びという部分の進化に大きく影響を及ぼすものではありません。



オンラインゲームの技術的発展に伴い生まれたMMORPGやMORPGといったものは、唯一ネットワークという性質を利用し、多人数で遊ぶことの面白さというものを提言しましたが、やはり遊びという根幹に影響を出すまでには至りませんでした。



他にも、ゲーム性は乏しいものの、コミニュケーションを楽しむといった部類の作品も登場しましたが、ゲーム部分に大きく依存してないという性質上、それはゲームを介さねば楽しめない遊びかどうかという点に於いて、説得力が低く、ゲームの遊びという部分に進化を促すには至ってません。



かと言ってオンラインゲーム全般を否定しているのではありません。むしろcocはオンラインゲームを支持しています。ただ問題なのはこれらオンラインゲームはビデオゲームの一つのジャンルで、いわゆる既存ゲームの終着点とも言える存在であることです。



ゲームなんですから、第三者と遊んだほうが面白いに決まってるのです。無論、ゲームは一人でコツコツ遊ぶほうが面白いと思ってる方々の気持ちも言い分も理解し、部分的に肯定もしてはいるんですが、やはりそれと同じくらい、人と一緒に遊べば面白くなるものなのです。



ですが、オンラインゲームのゲームという部分が問題なのです。そのゲーム部分に関して、既存のゲームが提供してきた遊びを根幹から覆すほどの新しいものは生まれてきません。



結局、既存のゲームをオンライン化していくだけの作業で、そこから次の時代に続くものなど生まれてきません。



既存ゲームのオンライン化作業が追われば、一部のMMORPG及びMORPGが開拓した顧客がそれに準じるタイトルを支持し、一つのジャンルとして落ち着くだけです(すでにそういう流れになってきている)


では、既存ゲームのオンライン化が終了を迎えつつある昨今、この15年、オンラインゲームという発展性の乏しいものをゲームの最先端かのように位置づけやってきた業界はこのあとどうするのです?



残ったのは、過剰で猥雑なインフラと、ただただ美しい映像を描画出来るようになっただけのグラフィック偏重端末だけです。



それを使って今後も美麗なグラフィックを追求していくだけのゲームにどれだけの人が喰い付くのでしょうか。肝心の遊びの部分は30年前と同じものをです。



つまり、モニターに映し出されるゲーム画面を見て、コントローラーデバイスを手で操作し、画面の中のキャラクターやオブジェクトを操作して遊ぶという遊び方はこの先なにも進化できないのです。どれだけマシンスペックが向上しても、そのスタイルで遊ぶ限り、もうその遊び方は出尽くしました。



故にゲームは操作して遊ぶ娯楽から、体感して遊ぶ娯楽にシフトしていくは必然なのです。



その最たる例がVRDです。現状のモーションデバイスのような、似非体感デバイスではなく、人の脳に直接訴えかける疑似体験。ヴァーチャルリアリティの世界にゲームは突入していくのです。





後編に続きます。

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