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乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方 Vol.95 FastFunの功罪#2



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前回の【乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方 Vol.94 FastFunの功罪#1】からの続きとなります。文量の都合で分けてアップしているだけですので、今回だけを読んで頂いても趣旨が伝わりにくいと思います。



なので、まずは前回分から読み進めてくださいませ。



尚、↑で直リンクしてますが、ブログ左側のカテゴリーメニューにある【コンシュマー産業の行方】をクリックして貰えば、同カテゴリーのテキスト一覧が表示されますので、そちらからも前回分を辿ることは可能です。



では、前回の続き、本文再開です。

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パッケージソフトは購入者に遊んでもらうわけですから、何も急ぐ必要はないのです。大事なのはそのタイトルを遊んだ後に、次回作を期待させられるか、または類似の他の作品に興味を抱いてもらえるかといった、次に繋がる評価を残し、業界全体の利益に繋げることです。



なのに、最近のアクションゲームやシューティングゲームはそういったゲームバランスを取るということを全く放棄してるような作品が目立ちます。



ダメなパターンの典型を具体的に上げるとしますと…



チュートリアルでいきなり全てのアクション操作を提示する。

チュートリアル後はステージギミックの変化だけで操作感覚の拡張は一切なし。

ゲームのピークが序盤に集約しすぎて、後半はただの物量作戦。

トライ&エラーをハナっから度外視。クリアさせる為の誘導演出ばかりの介護的な措置の乱用。



といった感じでしょうか。まずチュートリアルを別途作らなければならない、もしくは序盤をチュートリアルにしなければいけないという風潮に感化され、思考しないままチュートリアルを作ってしまってる作品が多いです。これ、手抜きにも程があるだろっと…。



本来、アクションゲームやシューティングゲームは最終ステージまでがチュートリアルであるべきなんですよ。ステージ毎に、新たなステージギミック、新たな操作方法を出していき、常に新鮮味を感じさせるべきなんです。そして最後の最後に、今までやってきたことを駆使して、この難関を突破してくださいっていうのが、至極真っ当で、外しちゃいけない王道なんです。



具体例を出すなら、ゼルダの伝説シリーズがその王道を外さず、丁寧に段階的なバランス調整を毎回行ってます。


一方、ダメな作品の典型は、ゲーム開始後すぐに強制的にチュートリアルに突入し、何ボタンがどうだ、何ボタンがこうだと、全ての操作ギミックを行わせ、習熟するまもなく、はい!これで全部説明しました。じゃ遊んでくださいっと放り投げるタイプです。



こうなると、操作ギミックを少しづつ覚えていく面白味も達成感もなく、新鮮味もすぐ薄れてしまい、全てが台無しです。



更にソレが無双系なら、最初のステージが終わる頃には、爽快感を楽しむ感覚も麻痺させられ、あとはただの作業ゲーム化していきます。



そんなのはゲームバランスが取れてる、取れてない以前の問題で、ゲームで遊ぶという行為そのもを全く理解してないか、そういったことに着想できない自己中としか…。



極論を言うなら、ゲーム序盤は使えるボタン数も極力少なくすべきなんです。現状、十字キーやアナログスティックを省いた、インプットボタンというのは8個というのがスタンダードです。(所謂、L2つ、R2つに平面並列設置の4ボタンという意味)



序盤では、そこから2~3個のボタンだけ使う形でゲームが進行していき、徐々に使えるボタンを増やしていくのがゲームバランス的に良いはずなんです。



けれど、ダメな作品は最初のチュートリアルで全部晒けだし、最初からそれを全部使って遊んでねっということしちゃうので、ゲームを楽しいと感じるピークが序盤に集約してしまうのです。



パッケージソフトは、アニメのように早い段階で勝負を賭けないと利益に繋がらないというわけではないのに、やたらとそういったFastFunな作りのタイトルが多く、そういった作りにしてしまうことで、後半に酷い作業感を発生させ、悪い印象を与えてしまう。結局は自滅になってるわけです。



アクションゲームやシューティングゲームの名作って、なんであんなに面白かったのか、使えるボタンがデバイスの都合上、今と比べて格段に少なかった頃の作品はどういった調整で、プレイヤーに気持ちよさを与えていたか、そこらへんの基本に立ち帰って、アクションゲームとは何ぞや、シューティングゲームとは何ぞやっという根本的な本質を見るべきだと思うのです。



近年リリースされた類似作品ばかり横目でチラチラ気にしながら、アレとは違う作りで…とか、アレとは逆の方向で…などと、見ている箇所がそもそも近すぎるんです。見るならシッカリ深く見るべきです。もっともっと時代を遡ってね。そこにこそ見るべきものは沢山あって、そういった所を見ずに、分かったような気で制作ソフトを弄くって、どっかで最近見たようなものばかり、右習えで作っちゃってるから売れないのです



くどいようだけど、本気でチュートリアルの存在意義や、それを作ることのメリットを、つまり何でソレを作ってるの?という疑問を持って作ってる人、どれだけいます?


創作って何でもそうなんだけど、”何で?”という疑問を忘れちゃうと絶対良いものなんて作れないです。全体像や完成像から制作に入っていくのが多過ぎなんだと思うんです。



完成もしてないのに、全体像や完成像を目指すって、そもそも論理が破綻してるんです。


ゲームというのは、基本的に、プレイヤーにコレを楽しんでもらいたいっというミクロ的な発想から肉付けしていくもんでしょ。


アニメや映画のように、ただただプレイヤーは受動的な存在ではなく、プレイヤーの思考や感覚、そういったものと絡み合うのがゲームなんですから、物語を作るのとはわけが違います。



それこそ、この剣の使い方、振り方は気持ち良いかも。こんな破裂弾の軌道はどうだろ、気持ちいいかもって、そういうミクロ的なところから、それをいかに気持ちよく楽しませるかという野心で、ゲームは肉付けされていって完成するものなはず。


なのに、一体このゲーム、何をどう気持ちよく感じてもらいたいが為に作ったの?無双系で連打してるだけでプレイヤーは楽しいとか思っちゃてるわけ?ってか、ほんとにお前コレを自腹で買って、限られた余暇の時間をコレに費やせるの?っと真剣に聞いてみたい作品も珍しくありません。



とにかく、それは自分がやってみたいゲームですか?っと。



そしてそれは、自分なら人をどう楽しませるかというプレゼンテーションになっているんですか?っと、聞いても答えが返ってこないであろう作品が溢れすぎです。





*次回【乙女から見る21世紀のコンシュマー産業の行方 Vol.96 FastFunの功罪#3】に続きます



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全4回分の2回目でした。



ちょうど毒気が増し増しになってきた頃合いで中断ですw



次回分以降ずっとそのまま毒気満載というわけではないので、そういうのが嫌いな方も、ここでやめずに残り二回もお付き合いくださいませ。



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