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乙女日記Vol. 2295 言われ尽くした事なんですが。



未成年の凶悪犯罪が発生する度に紛糾する少年法改正の問題。そして加害者の実名報道についての是非なんですけど…。



少年法の改正はやはり急務だと思うのです。寧ろ現状のままで何か良いことがあるのでしょうか?



無論、未成年という年齢での犯罪は、その後に更正の余地がある。なので刑罰ではなく更正施設で指導をっという言い分は理屈としては筋は通ってるんですが、犯した罪の種類によって線引きしないというのは、ちょっと大雑把過ぎると思うんです。



言い方を変えるなら、犯した罪によっては(凶悪な犯罪という意味)、果たして更正の機会を与えるべきなのか?そういう機会を求める立場なのでしょうか?



司法は罪を裁くのであって、人を裁くのではないですよね?なのに少年法が存在してるところに矛盾を感じます。



例え、知性が未成熟であっても、人を惨殺した者がその罪に問われず、更正施設で2年間指導を受けるだけでお咎め無しというのは、いささか乱暴過ぎでしょ。



ただ、誤解してほしくないのが、更正施設を全否定してるわけじゃないんです。実際、その施設で受けた指導を切っ掛けに、社会生活に適応し真っ当な人間として成長を遂げた、つまり更正した少年少女が居るという現実があるというのは当然の大前提です。



しかし、世間を騒がせるほどの凶悪な犯罪を犯した未成年が、更正施設を経て、どれほどの確率で更正出来てるのでしょう?



極論で、しかも個人的な考えで言わせて貰うと、更正施設を経て更正出来てしまう者は、自分の犯した罪と向き合えるくらいの理性的な人間に成長してると思うんです。すると、罪を償わず世に出てしまってることに苦しむことになるんじゃないかと…。



刑罰を処すというのは、おしおきという意味合いもあるでしょうが、刑罰を受けることで罪悪感から救ってやれる。それこそが更正に向けて必要なことであるんじゃないかと思うわけです。



あと、重要なのは更正出来ない者の存在から眼を逸らさず、それを認めることも必要だと思うのです。人なんて、人間という括りと固定観念である程度”まとも”な人間像という認識が作られてますけど、それこそ個人差の振り幅は激しく、生まれもってモンスターな人も希にですが存在します。



そういうモンスターはそう生まれてしまった不幸で全てが完結してしまっており、そこから更正など夢物語でしかなく、あとはそのモンスターがどれだけ自分の中に潜む反社会性、反秩序性の欲求を押し殺し続けられるかだけなんです。



それは過去の凶悪で猟奇的事件を犯し収監された者らが証明しています。彼らにとって、その犯した罪は、私たちが空腹になれば食事をし、眠くなれば睡眠を取る、好きな異性が出来れば一緒に居る時間を増やしたくなるといった自然な欲求のソレと同じで、殺したくなったから殺す、身体を傷つけたくなったから切り刻むといった衝動がごく自然と発生し、それを堪えるのは私たちが食事もせず睡眠も取らず生き続けるような苦しみと同じなわけです。



私たちが指導を受けたからといって空腹を感じず、眠気も生じないまま生活できるようになるでしょうか?つまり、モンスターに更正を指導するということはそれと同じことで、無茶なんです。



正に、それはそう生まれてしまった不幸としか言いようがないでしょう。



ちょっと猟奇性の増す話になりますが、カニバリズム(人肉食趣向)な人というのが、希にですが存在します。先天的にそういう素養を持って生まれた人は、もうそれだけで全てが台無しです。この人間社会でまともに生きていけません。



ですが、彼らは食べたいのです。私たちが普通に食事をするように、彼らも食べたいのです。ただ、その対象が何故か人間だったことで、彼らは生涯、常に空腹と戦い続けて行かなければいけません。



これほどの不幸があるでしょうか…。そしてそういう人を指導して空腹は満たされますか?



凶悪で猟奇性の高い事件犯す者は、潜在的に広義的な意味合いでのカニバリズム性を多かれ少なかれ持っているとcocは感じます。自覚してない者が殆どでしょうけどね。



こういった話をすると、途端に眉を潜められがちなんですが、そもそも生物には普通に共食い衝動というのがあって、人間にだけそういうのが無いなんて思い込んでるのは傲慢でしょう。人間なんてそれほど高尚な生き物ではありません。



うちら人間が存在してるという事実は、同時に同種族、近縁種の他の原人を淘汰してきたという証明なんですから、原人という括り以外の生き物からみれば、散々に同じ原人同士で殺戮を繰り返し、共食いを繰り返してた生き物でしょう。



一説では、猟奇性の高い事件を犯す犯罪者は、そういった人間の過去、つまり複数の種類の原人同士が、種の存亡を賭けて争い、生息域を争っていた時代の素養がイレギュラー的に表面化した結果だという人も居ます。



そして、そういう人等を今現在の人間社会ではモンスターと呼ばれ、隔離される対象なわけですが、その素養が早く現れてしまった者、つまり未成年時代に表面化してしまった子は、この国では少年法が適応され、僅かな期間を更正指導に当てられ、再度世に放たれてしまうわけです。



繰り返しになりますが、全ての少年犯罪がそうであるという意味ではありません。あくまで凶悪な事件を犯した者です。



なので、少年法の適応年齢の引き下げなどと言った安直な方法ではなく、こういう罪、そういう罪、それにこれとあれの罪といった感じで、犯した罪によって少年法から除外する、例えそれが12歳の子供がおこなった反抗であってもです。そんな風に少年法の在り方を変えていくのが一番ベターなんじゃないかと思います。



あと、ちょっと長くなりましたので、最後にちょっとだけ書きますが、未成年加害者の実名報道の是非についてですが、これはもう感情論になってしまっていて、つまりは私刑を行いたいから、未成年加害者の実名報道を認めろ!ということになっちゃっていて、実名報道とい行為の求めの先に建設的な着地点が全くないので、cocは賛成出来ません。



それよりもっと重要視しないといけないのは被害者の実名報道。さらにプライバシーの暴露です。そっちを厳に取り締まるべきだと思います。つまり被害者も、加害者も双方共に実名報道は無し。



加害者に関していえば、実名報道してしまうことで、例え少年法の適応外とされ、刑事事件として起訴され裁判に処せられても、実名報道がされてしまったことで、社会的な制裁、つまり私刑は既に行われているので、刑罰はそれを考慮して軽くなる可能性が高くなるんです。これではその犯罪者に怒りを覚えた人にとっては本末転倒なことになるわけです。



被害者に関しては、もうね…。いいじゃん。悲惨な最期を遂げた子を更に何度も殺すかのようなプライバシーの暴露を繰り返して報道するのは、あまりにも酷すぎる。死人に口無しを良いことに好き勝手情報操作して、ともすれば被害者を貶めるような表現をしたりする場合もあるでしょ。そして加害者への嫌悪感を煽り、世間に私刑を促すような扇動行為は愚劣な行いだと思うのです。



あぁ、あと、ホントに最後にちょっとだけ書きます。少年犯罪の厳罰化について「厳罰化すれば、それが犯罪の抑止力になるとは限らない。」なんて言う人も居ますが、個人的にそれに関しては、何言っての?って感じです。



余所の国では厳罰化が抑止力になっていないというデータがどうとか言うんだけど、オマエはナニジンでドコのクニのハナシをシテイルンダ?ニホンゴワカリマスカ?っと言ってやりたい。



余所の国は余所の国。余所の国はこことは違う文化、風習、民族性で成り立ってるわけで、日本で厳罰化が抑止力に成るか否かなんて、そっくりそのまま日本が二つないと試せないんだから、どういう結果になるかわかるわけないっしょ。



やってみて効果ないならやめればいいだけ。すごく単純なことじゃん?



やりもせずに、あぁだこうだ言うだけなら、子供でも言える。なんかおかしな事言ってます?



まっ、そんなわけで予定していたよりも長文になってしまいましたし、それこそ結果を伴った答えがここで出せるわけではないし、こんなことあちこちで散々言い尽くされてきたでしょうから、ここでこれ以上cocが一人”っふんす!”っと気張ったところでどうしようもないので、今更だけど渋々タイピングする指を止めるとします。



ではでは、そんなわけで独りよがりな正義感を満たす為に私刑に協力し、モラリストを気取るも本末転倒な結果を生むことに想像力が至らない知性貧しき者の敵、cocさんなのでしたw





*追記



最後の段落が余計な一文だと解ってはいるんですけど、それをそのまま書いちゃうあたり、どうやら調子は上々のようですよ?w

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