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乙女日記Vol. 2303 失ってから気付くなんてことがないように。



唐突ですけど、ここ50年くらいに生まれた日本人って、なんだかんだで幸せだなぁって思うんですよ。



人口が減り始めてる日本は、今後世程な政治的対策が実施されなければ出生率の爆発的増加なんて起きないと思うんです。



けど、それだと日本という国家は滅びの道を突っ走るしかないので、やはり移民の受け入れというのは、背に腹を変えられないということで避けられない事案でしょう。



すると将来の日本では、日本人が今まで経験したことのない異文化の風習、宗教などの違いによる、差別や対立といった人種問題が生活レベルで影響が出てくる時代がきます。



そうなると、どうしても争い事は増えるでしょう。つまり今ほど平和で自由に生きられる日本じゃなくなるということです。



勿論、これは数年という短い将来のことではなく、段階的に増えていく移民が日本に根を張り、2世代、3世代という時を経て、確固たる他民族コミニュティが形成されてからの話しです。



ただ、移民政策を実行していけば、確実に人種間闘争といった衝突は避けられないだろうし、そういった意味で将来の日本はそれほど平和でも自由でもない姿になるんだろうなって思うわけです。



一方、過去に目を向けても、昭和40年以前というのは高度成長期だったとはいえ、まだまだ、戦前の名残も色濃く残っていた時代でしょうし、戦争に負けてからは、日本人としての誇りや魂みたいな部分の価値観を根こそぎひっくり返され、経済を成長させる、つまりお金を稼ぐという事だけが日本人の自尊心の置き所にさせられてしまった時代だったと思いますし、その過渡期は混迷していただろうし、国家復興という戦いを国民全てに強いられていた時代とも言えるでしょうから、やはり平和と自由という部分ではかけ離れた時代だったんじゃないかと。



更に遡ればそれこそ、大東亜戦争、日露戦争と、明治維新で士族が壊滅したとはいえ、結局武家社会の色合いが強く、制度上なくなっていたとはいえ、現実では身分制度の名残も色濃く残っていたでしょうから、全くもって平和と自由からは縁遠い時代です。



もっと遡って明治維新以前、つまり徳川幕府が400余年この国を統治していた時代、俗にいうところの”太平の世”は平和だったのかっというと、そうでもないと思うんです。



内戦が御法度の時代だから平和だったかというと、そうも単純ではありません。別に戦争が無かったから平和だったというわけではないでしょう。



徳川幕府に400年統治されていたということは、その間は徹底した武家至上主義社会であり、身分制度も明確に存在してます。いくら士族を読書階級と揶揄する時代であっても、そこに強固な身分制度が有った以上、平和と自由などおよそファンタジーでしょう。



好きなことを好きなようにして、生きたいように生きる。そして就きたい仕事に就けるようなことはなく、生まれの身分、家柄などで人生の大半が決まってしまう時代でした。それを平和というには余りにもおおらか過ぎます。



で、更に時代を遡れば安土桃山時代。つまり領土合戦の戦国時代なわけで…。



そう考えると、こうも好きなように生きれて、自由に学校も仕事も選べ、娯楽も充実してる今という時期は、日本の歴史上から見ても、稀な時代ではないでしょうか。



移民が増え、人種問題で争い事が増えるような時代には既にあたしらは生きてないでしょうから、こんな平和に無責任に生きられてる今現在の日本人って、実はとんでもなく幸せなんじゃないのって思ったりする次第です。



戦争も知らず、内戦も知らないまま死んでいくあたしたち。これをラッキーと言わずなんと言えば良いのか。



TV番組がどうだとか、タレントが何したとか、映画がヒットしたとか、アニメがどうだとか、ゲームがどうしたとか、ほんと…お気楽に生きてますよね。申し訳無い次第です。




こんな腑抜けた日本人を作るために、先の戦争で多くの人がこの国を守るために死んでいったわけじゃないというのは重々承知してるんですが、それに返答するとするなら「すいません。日本はこんなんになっちゃいました…」と言うしかないです。



けど、本当の意味での平和は実現したんですよ。先人の方のお陰で。お気楽に何となく生きてても、なんとなく生きれちゃうというのは平和に針が振りきってないと絶対無理ですから。



ただ、その平和もそろそろ限界にきてるわけで、経済を国家の基盤にしてしまってる以上、人口=生産力ですから、その肝心な人口がこれから減っていく一方となれば、国家の生産力が落ち続けてしまいます。



現在の人口の年齢分布か試算すると、あと40年くらいで、日本人の人口は30%ほど減少し、9千万人を割るそうです。そしてその人口の35%が65歳以上になるらしく、経済国家とて完全な破滅状態に陥ります。



なので、移民の受け入れは避けられないわけです。そして今日生まれた子が働き盛りの30歳~40歳に成る頃には、生活レベルで移民との軋轢が出始めてるでしょう。



そういう時代になっていくのを止められないうちらは、ただただイレギュラーな存在なのかもしれませね。



ですから、過去の先人にも、今日生まれてきた子らにも申し訳ないですが、もうこれはラッキーだったと開き成って、ただただ気楽に生きていくしかありません。



そして、この時代でさえも、この日本に生まれるか否かで随分と状況は違うじゃないですか。



つまり、日本で生まれたこと、そしてこの時代の日本で生きられたという二つの大当たりクジを引き当てた私たちは、その強運をもっと有り難く噛みしめていくべきなんです。



うちら庶民もそうだし、国政に関わる人等もそういうところをもっと意識した上で物事の判断をしていって欲しいです。



そしたら、国政が一番注力しなければいけないことは何なのか、自ずと見えてくると思うんですけどね。



そして、確実に言えることは、その注力すべき事は、憲法9条改正でもなければ、自衛隊法の改正でもないはずなんです。



50年後、100年後の日本人に、この平和と自由に支えられたお気楽な時代を残してあげるには、何をすればいいのか。そういう視点で考えてほしいものです。



このお気楽な時代というの、もっともっと誇るべきなのです。中東周辺のニュースとかを見聞きする度により強くそう思う次第です。



平和であって何が悪い、自由であって何か不都合でも?そしてお気楽が罪とでも?



きな臭い時代になりつつある今だからこそ、そういう現実から目を逸らさず、わざわざ当たりクジを自分から捨てるような真似だけはやめて頂きたい。そう強く思うcocさんなのでした。


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